2011-12-29

深夜食堂とスカルラッティ

ここのところ、『傷だらけの天使』を録画して夜中に見たりしている。

目黒の某洋食屋で二三度見かけたショーケンは、頭の狂った元アイドル然としていて、何 かの企画に引っ張り出そうとする(らしい)怪しい若い奴に、いろいろ言ってる中身はともかく、何だか妙に物悲しかった。一番最初に目撃したとき、あ、ショーケンだと思って顔をみたら、こちらを見返してきた目つきにも嫌なものがあった。と、まあそれはともかく、『傷だらけの・・・』のときのショーケンは間違いなく格好よかったし、フィルム映えのするスタアであったから、この再放送はおおいに楽しい。

時代のせいもあるのだろうが、映像には力があるし、毎回めちゃくちゃなストーリーも、岸田今日子の色気も、岸田森の怪演も、何もかもが今なお新鮮で面白い。水谷豊はこの作品と『青春の殺人者』で子役から俳優になったのかもしれないなどとも思うし、ゲストの元錠前屋ちんぴら小松政夫とのからみなど、後の『相棒』での刑事と仕立て屋の芝居とあわせると感慨深いものがあったりもする。この小松政夫にかぎらず、毎回のゲストもなかなか豪華で、元印刷工偽札づくり有島一郎が包丁を振り回してやくざに殺される、などという珍しいシーンも面白い。

そして、やはりこのシリーズの最大の功労者(?)のひとつとして、当時、実に新鮮で画期的だったテーマ曲や挿入音楽を忘れることはできない。『太陽に吼えろ』や『相棒』の成功もまた、音楽の役割が大きい。ヒットしたドラマはテーマ曲はもちろんさまざまなシーンに入る劇伴が例外なくよくできている。一回限りのチョイスをすればよい映画や舞台とはまた違い、ドラマの劇伴は使いまわしが多いから、どんなアレンジのどれが来るか、はドラマの構造を明らかにする役割さえ果たす重要なもので、その出来栄えこそ、実はドラマを支えていると言っても過言ではない。クインシー・ジョーンズのやったいくつかの名作なども思い浮かぶ。
という話の続きとしては変かもしれないけれど・・・

ついさっき『深夜食堂』を録画で見た。オダギリジョー(ちゃんと韓国人にもサインしてやれよ^^;)と黒谷友香がゲストの最終話。ふたりのへぼ演技、とりわけ子役にも劣る黒谷の拙さは興をそぐこと夥しく(ふたりともシャシンでは良さがでるんだけどね)、一方リリーフランキーの良さは相変わらず半端ではない、などということはとりあえず脇において、これの場合は一回限りのチョイス(だろう)のスカルラッティのソナタがそれ自体として魅力的だった。タイトルロールで確認するとK.208で、そのあたりのものなら30年くらい前に結構譜面を見ているはずなのだけれどすっかり記憶になかった。早速楽譜をみて音をひろうと、やさしそうでいて、やはりなかなか知略に富んでいて面白い。スカルラッティとしては珍しいゆっくりしたテンポがもともと意図されていて、奇妙にしみじみとした味わいのある一品だ。それにしても初見が利かなくなっていてショックだな~、もっと鍵盤にさわらないといけません。ことのついでに、『深夜食堂』なんだから、いくら映像化とはいえ、食堂主人の見ない、知らない部分を描写するのは如何なものか、とちょっと八つ当たりしておきます。

2011-12-28

赤坂から原宿まで

息子のおかげで(?)中国銀行などというところとどうしても縁があって、午後から赤坂に二人でかけることに。暮とあって窓口はいっぱい、シャッターが降りる頃ようやく用事が終わった。さて、食事には早いけれどどうするか、とりあえず赤坂見附にぶらぶら歩き、赤坂東急ホテル、じゃなかった、赤坂エクセルホテル東京のテラスに「外付け」のカフェ「ボローニャ」でお茶にする。細君はケーキセット、こっちはカールスバーグにたまごサンド。もともとここの売りはデニッシュ生地のパンで、それを使ったサンドイッチは500円で小さなミネストローネまでついてお買い得。

冬日とはいえ、さほどの寒さでもなく今しばらくは日も残る。ここからは渋谷方面に散歩。角を曲がると、おお、ちょうどよいところにチョコレート屋。正月の実家用みやげをレオニダスで調達。ベルギーチョコレートなのに何でギリシャ人の名前?というかねてよりの疑問は帰宅後にネットで氷解。なかなかのストーリーがあったんですね~。

とらや、草月会館、カナダ大使館などなど、ここらあたりはだいぶ前から変わっていないような、相当変わっているような、もともと稀にしか来ないところだからよくわからない。青山、外苑前を過ぎて表参道へ。急に人も車も増える。やがてちょっとさびしいイルミネーションに明かりが点り、人も車もごったがえしてくる。道の反対側にやけに人だかりがしていたのは、どうやら、皇太子一家が渋谷から東宮に戻る道中があったらしいと後で知る。

渋谷まで行くつもりが、オリンピアの角を曲がったら、ここで千代田線に乗っちゃえば、ということになり散歩終了。東京は結構面白い。

2011-12-12

玄人の道具

縁あって長い間、仕事をお願いしていたカメラマン氏が引退とのことで、スタジオに残った機材の一部がこっちの仕事場にやってきた。銀塩写真の技術、特に現像やプリントの技術なんかはこれから廃れる一方なんだろうけど、そんなことができる道具を保存するのも、言ってみればこちとらの仕事の一部。とりあえずは全て「動態保存」で、いつになるかはわからないけれど、今ひとたびの使命に備えてもらうことにしたい。

引き伸ばし機一式とか、4×5カメラとか、いろいろある中で、ともかく一番すぐに使えそうなのが、カメラスタンド、というわけで早速試用することに。カメラスタンドはマンフロットのサロン、一番背の高い280という奴で、買うと結構な値段がする。それにジッツォの大き目のと、マンフロットの405ギヤヘッド、ふたつの雲台がついている。早速、405に一眼をセットして実用を兼ねたテストショットを撮影してみる。

いや~一言で言って、こんな使いやすいのでやってたのか、ということが実感できて感動的ですらありました。

すべてにしっかりしたスタンドはとにかく使いやすいし、デジタル一眼にはオーバースペック気味。何だか貧乏で潰れそうな中、急に部分的にものすごくリッチな気分になっていい気持ちになってしまう。特に秀逸なのはギヤヘッド、そうだよな~、こうじゃなくちゃ仕事には使えないよな~と思い感動しつつ画角を調整して気持ちよくシャッターを切った。正しい道具の選択も腕のうち、さすがに違うもんである。

マンフロットの雲台は115を買ったばかりだけれど、あまりに感動したので、その日のうちにオークションで405の小型版たる中古410を買ってしまいま した。クイックプレート一枚おまけで、半額以下とお買い得。ああ、なんだか間違った方向に進んでいるような気もするけれど、ま、いっか^^;

2011-12-05

ようやく自転車に

天気が悪かったりあれこれ忙しかったりで一向に自転車に乗れなかったけれど、今日こそは、ということで9時に家を出て湘南に向かう。246をたくさん走る のがどうも気が進まず、今日は町田にまず向かい、町田街道で246へ。後は例によって大和から467で海をめざし11時を回って江ノ島到着。自転車がある ので、そうそう観光や散策、というわけにもいかず、それでも少し近辺をぶらぶらと流し、昼飯を思案する。回転寿司、というのが出かける前の考えだったのだ が、いつものことだけれど、いざ現地に行くと気分が変わってしまった。天気は絶好、遠く富士山もよく見える、ということで海岸通りを鎌倉方面へ。

目指すは稲村ガ崎。かつて「メイン」という有名なレストランがあったけれど、今は建物はそのままに、なんとかいう別な名前になっている。優に40年以上前 のこと、稲村ガ崎の海岸近いマンションに叔父が一人住んでいて、近所にちょっといいレストランがあるから行こうということで初めて行った。その後、30年 以上前の学生時代には、何かといえば遊びに行ったあたりで、いろいろと面白いのや不思議なのや思い出も少なくない。そんなことを少し考えもしたけれど、何 よりこの店のいいところは海がよくみえること。特にこんな日は富士山まで加わって、なかなかの贅沢ぶりなのだ。
内容価格の設定がちょっと微妙なランチをやめて、ビーフシチューとパンを頼んだら、大人っぽくてとびきり魅力的なギャルソンヌ(たぶん何年か前に行った 時にもいた人)にちょっと不思議な顔をされたけれど、そんなことはおかまいなしに、シチューとパンを貪り食い、満足する。見渡せば客席は平日の昼間にして は結構埋まっているものの、何といっても年齢層が高い。

件の叔父はその後、鎌倉から小田原に移り住み、先年、不慮の死を遂げてしまった。幼い自分にピアノの手ほどきを、たぶん面白半分にしてくれた井口愛子門下 の素人ピアニスト、後に独学オルガニストにしてディレッタント蕎麦打ち。何かと独善的で些か浅薄な毒舌を吐く、それでも料理や音楽、美術にちょっとした意 見をもつ大学教授で、自分にとっては大きな影響を受けた「母方の叔父」であった。晩年、あれほど好きだったグレン・グールドを悪く言っていたそうだが、そ れは、いけないよ・・・。

別にそんな意識はなかったんだけれど、稲村ガ崎に向かったのはそんなことを思い出したくなっていたからかもしれない。

往復100キロ弱。15時30分過ぎに家に帰りついたら、急に眠くなった。

2011-12-03

本日休業

久しぶりに休んでいるようなそうでもないような・・・(実際は違います、11月後半はさぼってばかり)

普段使う自家用コンピュータをとっくに買い換えても良い時期なのだけれど、元来が何でも道具が長持ちしてしまうたちで、おまけに、どうも物欲にヒットする ものが見つからない。目がだいぶ悪くなってきていて、画面は大きくてあまり「高精細」じゃないのがありがたいけど、版下をつくったり、写真を確認したり、 と考えると悩むところ。最近はacerの安物ノートに古いナナオのモニタを横に置き二画面使うのが常態化。写真の色を確認するにはサブのモニタも新しくし たいところ。映像用にはノートの代わりにDELLのデスクトップと少しましなモニタを買ってもらったけれど、速度を含めてちょっと微妙。やはりケチっては いけませんな~。そうそう、サーバのバックアップ(スナップショット)用に大きめのNASも入れとかないと・・・と、これは会社で買ってもらわないと。

今使っているacerのノートはvistaになるのを恐れて急いで買ったxpマシン。Turion 64X2(しかも一番遅い奴)なんていう乙なもの(?)が入っている。遅いけれど、そこそこどんな事にも役に立つ。486DXから5X86、K-6・・・ 昔からAMDは随分たくさん使ってきたな~。なんて書きながら、ふとオークションを覗いたら64X2の速い奴が出てるぢゃないか。最後に出たほうのものな ら発熱は改善されているはずだし、15分間の作業で気のせい速くなり、ちょっと自分のためのスペシャル感が出るのも楽しいかも。10年くらい前まではしょ ちゅうノートもデスクトップも開腹してあれこれいじっていたけれど、最近は遊びの方ではすっかりご無沙汰。仕事場の旧型ノートSSD化なんていうのは勿論 済ましたが、サルでも出来る作業で、結構効果があるのが逆に何だかちょっとさらに面白くない。

などと考えていたら、古いマックを動かしたくなった。クロックアップ版Q700ロジックとルマンを入れたIIcxでも久々に走らせようか・・・そうそうppcロジックのcxも直さないとな~・・・間違った方角に元気が出てきた><;

2011-11-29

上海弾丸旅行

一瞬、上海に。

寅さん風に言えば、俺は本当に上海に行ったのかなあ、くらいの短い旅行でした。
滅茶苦茶にエネルギッシュで、何だかよくわからない大都会は、間違いなく東京より凄い都会だった。享楽的で刹那的、互いに心を許さず必死の覚悟で今を楽しむ、ようにさえ見える上海人はちょっと切なかった。最近、自転車のマナーがあれこれ言われるけれど、上海の自転車・電気バイクなどなどに比べれば、まったくもって文字通り「児戯に類する」ような違反でありマナーの悪さ。大多数の日本人が無気力な馬鹿だとすれば(あ、言っちゃった・・・^^;)、上海人はやたらに威勢のいい、やる気満々の馬鹿揃い。そこがちょっと魅力でもある。

モーガンシャンルーは美大の学園祭みたいで面白い。日本ももっとギャラリーの展示スペースを広くとれると良いのに・・・。博物館は信じられないくらい悪趣味な建物の中に凄い展示があって、そのアンバランスが妙にいい。最上階の少数民族室は、普通は最後にたぶん飽きてしまって誰もゆっくりは見ないスペースだろうけど、天邪鬼な我々は最初にそこから見ることに。他の展示室とは違い、すべてのコンテクストから切り離され、意味を剥奪された衣服や服飾品が標本として立ち並ぶ。漢民族は「少数民族」をできれば絶滅動物にして剥製を飾りたいんだな、ということがあまりにもあからさまに示されていて、人事ながら恥ずかしささえ覚える。

朝の中山公園では、太極拳より社交ダンスの方が人気。
上海もまた高齢化が深刻な問題になりつつある。
踊れ、踊れ、今のうちに・・・上海はちょっと悲しい街。

2011-11-24

調子が悪い相棒

楽しみにしていたシーズン10なのに、何だか不調のまま進んでいる。
各エピソードそのものは、致命的な不出来とまでは言えないのだが、脚本の責任が大きいのだろうか、出来栄えはどうも今ひとつだ。例えば最近のものでは世間でも不評だった研ナオコが出た回。

プロットそのものはまあまあで、過去にもこの程度のプロットからそれなりに面白くなったエピソードは少なくないように思う。ただ、今シリーズにどうも通底 している、タメのない薄さ、みたいなものが顕著で、やはり出来栄えは薄味だった。これは沢山の人が指摘していることだけれど、とにかく研ナオコが歌も演技 も下手で、どうにもこうにも興をそぐ。いくらなんでもあの「サマータイム」はないだろうし、どう見ても伝説的ジャズ歌手じゃなくて、呂律の回らない婆ジャ ンキー(・・・つまり本人?)としか見えなかった。

流れで言えば、もっとゆっくりと研ナオコ犯人説の証明にアプローチし、ようやく準備が整ったところで、最後にささいなきっかけから(ア・プリオリに与えら れた条件からじゃなくてね^^;)真犯人へとずらされる、という必要があり、それだけがこの脆弱なプロットを面白くする道だったと思う。研ナオコが決定的 に脚を引っ張っていたとはいえ、もう少し何とかなったはずなのにな~という感が強く残念。

「相棒」の面白さは、物語内にきちんと世界が構築されていて、それゆえ、「テレビドラマ」としての多様なアプローチが可能になり、例えプロットやトリック は破綻していても、元来が荒唐無稽と知っていても、それでもある種の説得力を持ち得る、その世界の実在を信じられる、というところだと思うのだが、どうも シリーズ10は、これまでに培われた「実在感」は、損なわれるばかりで、まったく生かされていないように思う。

「小野田さん」や「花の里」の不在も大きい。前者は「警察と特命係と杉下右京」の歴史にいつも注意を向けさせ、いわば通時的な実在感の「証拠」の役割を担 い、後者は事件について知らない「たまきさん」、彼女と右京さんたちの会話によって、物語外にいる自分との間に共時的な実在感の契機が与えられていた、と 見ることができるかもしれない。特にいろいろな都合で後者が強引に取り去られてしまったのは大きな損失だ。また、これは前者に関わることだが、警察の自己 保存の機構と、ちょっと頭のおかしい杉下右京の正義があれこれと齟齬をきたすような部分も弱まってしまい、何だか偉そうにする変な刑事があまり頭を使わず に、予定調和で事件を「処理」しているように見えてしまうのが期待外れだ。このまま行ってしまうのだとすると(たぶんそうなのだろう)、噂どおりに最終シ リーズということになるだろうが、何だかそれならやらない方が良かったような気もする。

2011-11-17

ライラックのねぢ

現在目黒区美術館で開催中の秋岡芳夫展には、MF39(300cc版ランサーMkV)と「ゲールペット」が展示されているけれど、会場内をよくみると、他にもライラックがらみの写真が結構出ている。

その中に秋岡がDP90(ニューベビーライラック、試作車か?)を持ち上げているところなどもある(70キロなので何とか持ち上げられる重さです)。当時の記事などから推測すると、このニューベビーには秋岡らKAKが深く関わっていて、いわばライラック側の技術者に「デザインするというのはどういうことで、どう進めるべきなのか」を教える機会となったのではないかと思われる。しかし、皮肉なことにDP90はスマートさが裏目に出て売れ行きが伸びず、丸正の経営悪化の一つの端緒となってしまう。そんな関わりを経て、VツインのLS18からMF39/LS38の頃にはライラック側の林英治さんもデザイナーとして成熟し、KAKが直接関わる必要はあまりなくなっていたのかもしれない。MF39ではKAKの案がそのまま生かされているのは数箇所だけという。

その中に、河潤之介さんによる後輪のブレーキクリアランスアジャスターのちょっと変わったナットがある。工具なしにしっかり締められる一枚羽のその形は、時代が下り、例えばマンフロットの#115のようなパン棒なし雲台のクランプなどに、断面は違うが、形状の似ているものが出てきて面白い(マンフロットはよくこの形のクランプを使っている)。手で回しやすく力も入る、というう要求に応えるために同じ結論に達したとも考えられるが、あるいは両方にDNAを伝えた祖形があるんだろうか。

追記:
というわけで(どういう訳だか・・・)マンフロットの#115をオークションで手に入れてしまった。アダプターを買って面(つら)が合うようにやすって、スリックの安物カーボンにセット。向きをどうするのかちょっとまだ迷っているのだが、使い勝手はなかなかいい。普通のパン棒つきより使いやすいような気がする。もう少し試してみないとなんとも言えませんが。

2011-11-14

歩いた話

新宿-青梅43キロかち歩き、というのに参加した。

くたびれました。脚も痛くなりました。面白かったです。知り合い10何人かで出かけたので、その後の御酒も結構でした。

新宿の都庁前の公園を8時半にスタート。青梅街道に出て、ひたすら一本道を歩く。物好きな参加者1700人が、とにかく歩く。額面どおり本当に何も飲まず 食わずで8時間以上を過ごしたら、ゴール後に脳貧血気味になってしまった。体に悪いな~^^;。何だか全体にちょっと「ゆるい」感じの大会で、それが良さ でもあり、また来年の3月に出ようと思う(年二回開催の由)。

それにしても「かち歩き」っていう言葉は何だかちょっと変。「勝ち」の意味も込めている、と主催者は主張しているようだが、既にして「徒歩=かち」だか ら、さしずめ「かち歩き=徒歩歩」で「とほほ」か~、などと夕暮れの河辺(かべ、ここにある青梅市の体育館前がゴール)で脚をひきずっていた。

2011-11-10

ideosの帰還

docomoのシムを入れたまま行方不明になっていたideosが拾得されたという手紙が来て、保管先の碑文谷警察まで行ってきた。ちょうど一月で拾得さ れた東急バスから警察に移されたそうな・・・。

@@東急バスは盲点だった。てっきり、電車での帰宅時と思い込み、あちこち問い合わせたが何の手がかりもな く、それでも、何となく出てきそうな気がして放置していたところでした。ま、とにかく良かった、助かった。これをきっかけに少しはいいことがあるといいん だが・・・。

ideosは安物スマホというか、モバイル通信用のテザリングマシンというか、どちらにしても単体での使い勝手は値段相応でたいしたことはないのだけれ ど、やはり失くしてしまうとショックが大きく、しばらくはスマホの文字さえ見たくなかった。これで職場でもwebメールにつなげるしめでたしめでたしです。

2011-11-05

間違った日に仕事に行った話

タイトルどおりであります。

わが社は土日のどちらか出勤が原則なのだが、昨日帰りがけにホワイトボードを見ると翌日、つまり今日は出勤のようだ。となると 出勤することになる→それが間違い、という流れで、随分早く帰ってきた。帰りがけに寄り道してちょっとだけ地元の明日のイベント準備のお手伝い。30点あまりの写真の簡単な展示で、こういうことなら簡単で多少は喜ばれるので・・・。

夕刻、同じイベントの準備でやたらに飯をとぎ手が草臥れた細君と、新百合ヶ丘に食事に出る。近頃、わりに気に入っている安くない回転寿司をめざすも土曜と あって家族連れが行列で、初めての店、「asao grill」へ。グリル料理が売りのちょっと微妙にアメリカ風のダイナーは料理もサービスもまずまず。ハウスワインはもちろん「キャラフォーニアン」で、 かなり細身、というより薄手だが、飲みやすくて肉にはなかなか良い。注文は、このワインをキャラフェでもらい、ほかにシーザーサラダ、アボカドのカルパッ チョ、ミネストローネ、そして焼け目のついてるハンバーグとステーキ。味はとりたててどうというほどではないけれど、リーズナブルで感じもいいので、また 行こう。年配常連二人と我々を除き、若いカップルがぽつりぽつりと来る。こういう店もあるんだな。

夜は珍しくチャンネルを変えず単発の「火車」をみる。淡々と丁寧なつくりで、キャストもまずまず、いい感じのドラマだった。原作は面白いので、きちんとや りさえすれば見るに耐えるものになるといういい見本。上川隆也も寺脇康文もそこそこで、金田明夫や笹野高史が顔を見せ、子役はやたらに達者だし美保純、藤 真利子や茅島成美ら女優さんたちも良かった。目を引いたのは高橋一生。この人はもしかすると本物になるかもしれない。ゴリに栃木県人はいかにも無理だがご 愛嬌、おいしい役回り。逆に井上和香はいい雰囲気をもってるのだが、今回は上っ滑りでまったく駄目。芝居は何も出来ないのだからもっと一生懸命やってください。

と、まあ、今日は普通に日記を書いてみました。

2011-11-04

見なくちゃ



おお、こんな映画が公開されてるんだな^^

2011-11-03

鎌倉葉山行

仕事場に出かける気になれなくて、などという理由で休んではいけないのですが・・・。

11月1日。朝方は一日休んで休息、という気分だったのが、天気もほどほどに良く、ペリアン展の完成状態も見ておきたく、というわけで十時過ぎになってか ら突如思い立って出発。いつものように東名川崎の手前で右折して青葉台方面に向かい、江田駅東で246へ。だらだらした上り下りを何回か我慢すれば大和 で、そこから道なりに進んで467に入る。467は高低差がなく、そこそこの道幅なので昼間なら自転車には好都合。どんどん進めば藤沢で、さらに行けば江 ノ島なのだけれど市街を過ぎたところで32に左折。そのまままっすぐ海岸に出れば由比ガ浜だが、八雲神社で左折してトンネルを三つ抜け鎌倉駅前に。

さして急ぎもしなかったけれど、1時だいぶ前には到着し昼飯をさがす。結局大路に出て萱木家に。適度に古い建物といい、店の感じはいいのだが、いつ行って も肝心の鰻の味が少々呆けている。というより正確には行く度にどんどんと呆けて行く。安いのは有難いので、文句は言わないことにしよう(もう云っちゃって ます)呆けている、と言えば、横の卓の中年二人、老人二人の会話が何だか変。曰く・・・。逗子のマンションで自殺したのはだれだっけ。芥川龍之介だったか しら・・・。太宰治かな。ようやく川端までは出たけれど下の名前が出ないままこの話題はうやむやに。どうみても五十過ぎの娘婿(らしい。14年だそうだか ら、遅い結婚)がお義父さん、しんちゅうっていうのは鉄の一種ですか、と尋ねると、義父なる人は、ああ、あれな・・・ありゃあ黄銅鉱っていうのから採るんだよ、そのままぢゃあ使えねえから鉄に混ぜて使う、などと答える。店内は中高年だらけで、気がつくと背中の方の卓も似たような会話が飛び交っていて落ち着 かないこと夥しい。頑張れ中高年。

そそくさと食べ終わってペリアン展に。あと一つ部屋があればいいのに少々手狭。とはいえ坂倉の建物にペリアンはやはりDNAが共通していて良いマッチン グ。座れる椅子にも一応全部座ってみたが、見かけのわりに心地が悪い。中盤から先、スペースの制約から、映画の予告編みたいな様子。面白そうでいて結局 さっぱりわからない。ま、うちでは何とかなるでしょう・・・。そのまま帰ってしまおうと外に出たところで、会議から戻ったキュレーター・Nさんに遭遇。玉堂もいいですよ~M館長もいますよ~との仰せに従い葉山に向かう。

玉堂、なかなか良い展覧会で甲斐あり。ゆっくり見てから館長室にちょっと寄る。なんであんなにイギリスっぽい感じの絵が、と問えばラスキンですから、と適 役の的確な答えに納得。玉堂っていい絵描きだけれどスケッチ・素描は割に下手ですね~(目がどうも悪かったようで、悪くはないが、実際さほどうまくな い)、それは担当者には言わないように、すごく感動してるんですから泣いちゃいます、などと言ってるうちに、11月の太陽早くも海に傾きかける頃となり、 慌てて退散。

藤沢あたりですっかり暗くなり、ゆっくりと家に戻ったら8時近くになっていた。走行120キロ弱、良い運動、おまけに良い展覧会。

2011-11-01

草臥れる

っていうのは何でこんな字を使うんだろう・・・。今度調べてみよう。

仕事一段落なのですが、何だかまだまだ未解決のことも多く、草臥れたままです。

まあ、一言で云えば、虚しいな~

こういう時はカメラでも買って気分転換・・・というのを目論んでいるところ。ペンタックスのQが今のところ第一候補。スナップに使っていたデータ用スマホ を落としてしまったので最近はカメラなしで歩くことが多くて何だか不安。とはいえ、それほど沢山撮影していた訳ぢゃあないのだけれど。Qはまずまずよく出 来ていて、あのサイズだから普段持ち歩き用に・・・。一眼の方は今のところレンズの関係もあり、E-5しか考えていないのだけれど、これが結構高いので、 いつになることやら><L10は悪いカメラじゃないんだけど、普通に使うとちょっと絵造りが鈍くてRAWで処理する方がずっと楽しいのだけれど、それはそ れで面倒くさい。

2011-10-25

カリテプリって何だ?

Qualitetprix=カリテプリ、という言い方があるということを最近になってようやく知った。英語で言えばクオリティープライスですな。

一口で言えば値段の割りにいい、というわけで、値段の割においしい安ワインなんかについて言う言葉だそうだ。家ではハイボールとワインしか飲まなくなって しまい、ワインは高いものは近くのスーパーにない(あっても買うのは馬鹿馬鹿しいようなものしかない・・・)ので、あ、いつも飲んでるような奴のことなん だな~。

ところで、800円以下くらいのワインになるとコルク栓ではないスクリュウキャップのものも多くなり、時にはコルクのようでコルクでない、ちょっと不気味 な素材の栓がしてあることも。気のせいなのか、そうでないのか、やはりコルク栓のものは、不断の変化を続けるワインであり、スクリュウキャップのものの多 くは、ワインという名の飲料が瓶詰めされスナップショット化されている感じ・・・。前者は時には栓を開けてから15分後に実力を発揮したりするのだけれ ど、後者はなんだかスタティックな感じ、とでも言えばいいのか。もちろんそうじゃない奴もあるのですが。

おお、これって結構いろんなものについて言えるのかもしれない。例えば役者の演技。芸達者なんて言われている「ベテラン俳優」に、なんと本物のワインじゃ ない(本物のワインが必ずしもおいしい訳ぢゃあないけれど・・・)、ワイン風味飲料の多いことか。ま、そんな理由で津川雅彦の出ている「相棒」は、見るに 耐えない。

2011-10-21

死んだ人のことばかり

今度はカザーフィ・・・

世代的なこともいくらかあるのか、いや、それだけじゃないと思うのですが、カザーフィの、今回の「結末」はどうにもやりきれない。ヨーロッパやアメリカの 都合に左右されないアフリカ経済ブロックを構想していたカザーフィ(正しくはその息子の誰か、らしいのだが)をアメリカが自分の都合で排除した、というの が事の真相で、それは何だか口ざわりのいい、民主化や、まして「革命」とは全然関係ないことなのだ、としか思えない。

成長すべき中国との関係性の中で、将来的なアジア経済ブロックを構想した田中角栄が、立花隆はじめ、CIA協力者を動員してのキャンペーンで葬られたのと、構造的にはまったく同じ問題だ。

暢気な日本人。吐き気がする。

2011-10-14

デニス・リッチー死す

ジョブスが亡くなったと思ったら、ほどなく・・・。

「カーニハン・リッチー」なんてひとくくりで名前を知ったのはもう随分前になる。とうとうCはあんまり理解しないで終わってしまったけれど、その考え方は いろいろと役に立った。もしかすると今でも頭の片隅では、いろんな物事の成り立ちや経緯を、崩れたC、またはもう少し広い意味での関数型のプログラミング 言語で記述してる面がまったくないともいえない・・・。

OSXだってandroidだって遡れば、UNIXがなければ成立しない。毎日使っている Linuxだって勿論だ。世界を創った人達が世を去る時が来たという意味で、これもまた、that day has comeに違いない。

自分とたいして年齢が違わないので、ちょっと背筋がうすら寒い感じもするけれど・・・。

2011-10-11

足利へ

10月8日、土曜日。例年恒例の集いがあって足利へ。

到着は4時過ぎでokなので、9時半にゆっくりと家を出た。おととし、自転車で行ったときは環八から17号で熊谷へ、そこから北上というルートで結構くた びれたので、今年はルート変更して、甲州街道ほかで府中へ、そこから川越に向かい407号で熊谷を通過することに。川越まではまったく楽に到着。
ところが ここでちょっと道を勘違いして、おまけに不注意で痛恨のリム打ちパンク><とほほほ・・・・。ポンプを持参していなかったので、出会った老夫婦に自転車屋 さんを聞くと、親切に教えてくれた。言われた通りにしばし自転車を押してとぼとぼ行くと・・・絵に描いたような昔風の田舎の自転車屋さんが出現。がらっと 戸を開けて声をかけたら、年配のご婦人が登場。事情を説明すると、「あのね、そういうのを被っている人のはお向かいの方が・・・」そういうのっていうのは ヘルメットのことで、言われたように道の反対側をみたら、おお、ロードが停まってる小さなショップがある。
礼を言って道を渡り、ここでポンプを借用。タイ ヤそのものには傷がなく、チューブは持参していたので事なきを得る。やれやれ。結構、いい感じのショップだったので、こんなのが近所にあればなあ。
その後は、とりたてて問題もなく、熊谷、大田、足利へ。走行距離は約115キロ、東京都内を通らなかったおかげでほとんど平坦だから楽な旅。その夜は親しい人たちと痛飲。

目覚めたら既に10時で、あわてて出発。一路、来た道を引き返して熊谷へ。夕方には仕事場に行かないといけなかったので、そこから高崎線で赤羽まで輪行し て時間短縮。日曜日の真昼間だから自転車を持ち込むのも安心。赤羽から王子方面に向かい、池袋、新宿、渋谷と通過して目黒へ。なかなか楽しい二日間だった けれど、仕事場で待ち構えていたのはほぼ徹夜の仕事でした。何だか変なトライアスロンみたいだ・・・><

2011-10-06

さよならapple、さよならmacintosh...that day has come

ジョブス死去の報に接す。

ありふれた言い方、誠にもって手垢のついた言い回し、ではあるけれど、やはり「一時代の終わり」を実感したとしか言いようがない。自分が macintoshに触りはじめた、というかあれこれ遊び始めたのは、当時コーチをしていた少年サッカーの練習場である小学校のそば、一台のIIcxを 拾った1995年頃からだから、ちょっとした季節外れだった。ああ、そういえばその前にPB100でインターネットに繋ぐなんていうことをたまたまやった こともあったっけ。

ともかく、動かすことがそのものが面白く、なるほどmacintoshってこういう風になってたのね、と思いながら、結構な台数を集めいろいろと遊んで (portableやoutboundなんてのにまで手を出したりクロックアップしたり・・・)いるうちに、本家はosXになってしまい、しばらくはあれ これ相当な台数で遊んだけれど、今では手元には僅かにlombard(PBG3)とPBG4が一台ずつ動いているだけになってしまった。どっちも随分前か らubuntuでlinux化しちゃったので、考えてみると出先などで仕事上の必要があるとき以外、MacOSに触れることも久しくない(仕事先には初代 i-macくらいまでの5~6台、展示小道具用にperfomaを中心に「動態保存」してるけれど・・・)。

長ったらしくなったけれど、そんな訳で、自分の中では今のMacは、歴史的な興味は別にして、どうでもいい存在にだいぶ前からなっていた。

で、ジョブスのことだが、同世代であるだけに健康問題が人事とは思えない。ま、こっちは収入も責任もなく、至って簡単な人生なので、その分ストレスも数億分の一程度ですが・・・。

アップル信者じゃないので、今後のアップルの方向などどうでもいいが、また少し世界が退屈でつまらないものになったのは確かだと思う。ウォズニアックは何を思っているのかな~・・・

2011-10-04

自転車、自転車・・・2

(承前)
何とか車にも轢かれずに帰宅を果たし、ようやく何を買ったのかをゆっくり確認。

どうもこれはGIANTというメーカーの(さすがにこれは店先で既にわかっていたけれど)のESCAPE R3というものであることが判明。なるほどね、 とあれこれ調べてみると、何のことはない、売れに売れている一番ありふれた品物じゃあないですか。よくわからないで買っちゃったけど、ま、いいか。

取り急ぎあれこれ勉強してみると、なるほど、クロスバイクというのはマウンテンバイクの部品を使って組まれた街乗り車だそうな。ディレイラーは昔見慣れた 形だから、まあ、大きな問題はなさそうで、おおむねのところは(自分の知ってる範囲で)普通の自転車みたいだ。ところがブレーキだけは見たことのない形式 で、つくりを確認しとかないといけないな~。Vブレーキっていうんだね。
「同様の基本構造を持つブレーキは古くから存在していたが、広く普及したのは日本のシマノ社が1990年代後半にマウンテンバイク用ブレーキとして製品化してからである。」by wikipedia
なので、知らなかったのも無理はありません。後、ディレイラーや初体験のグリップシフターはSRAMっていうところのものだけど、はて、ディレイラーといえばシマノかサンツアーかカンパしか聞いたことない、というのもこれまたVブレーキと同じ事情でした。

落ち着いてよく見てみると、なんだかあんまり質がよくなさそうな部分もいっぱいある。そこがコストパフォーマンスって言う奴と関わってくるんだな、と納 得。さて、そして、いよいよ、通勤、ということになるのだけれど、その前に一度くらい走ってみないと、というわけで夏休みの一日を使って目黒へ向かうも、 雨に降られて情けないことに・・・。それでも20キロは何とかこなせそうなのでほっと一安心して翌日から通勤開始。

実は、最初の一ヶ月くらいは、仕事場に つくと草臥れちゃって、まあ、昼間はずっと体を休められるので(をいをい!)、体力を十分回復して帰宅して草臥れて風呂入って寝る、みたいな感じだったの を白状いたします。

2011-10-03

自転車、自転車・・・

気づいたら自分自身が相当に太くなってしまい、当分このままの姿で年老いてゆくのだと諦めかけた頃。ある日、目覚めたら急に腹が立たってきた。運動しよう。それには・・・・。

というわけで自転車通勤を始めたのは2009年の8月だった。なんだ、まだ2年ちょっとしかたってないのか。

細君と町田まででかけて、よく通りかかっていた自転車屋に入った。いきつけの居酒屋のカウンター越し、Mさんが教えてくれた通りに、「クロスバイクってい うのが欲しいんですが」と店員に言ったら、やけにあっさりと、「あ、これがちょうどいいですね~。サイズも合いそうですし。」とすすめられた緑色のを買っ た。この間、およそ1分くらい。いや、本当は跨ってみたりして、サイズは慎重に決めなくちゃいけないんですけど。1時間ほどぶらぶらして、組みあがりを待 ち(普通、店頭の状態はとりあえず組んだだけで本当は未完成状態です)、それに乗って家に帰る。途中はともかく団地の坂はきつい。フロントを一番小さくし て、リアを一番大きくして、最後は這うような速度でのぼる。たった15キロ走っただけなのに広島に原爆が落ちた日の日差しは強く、息はあがりひどい汗をか く。疲労困憊。う~ん、仕事場までは20キロなんだけど大丈夫だろうか・・・。

子供の頃から自転車は大好きで、大学には自転車通学していたことを、そういえば忘れていた。というか、気に入って今で言えばフラットバーロード風にして 乗っていたプジョーを盗まれてから、自転車のことはあんまり考えないようにしてきたのだ。そんなわけで、変速方法などはわかりますか、という店員に、たぶ ん大丈夫、と応え、たいして説明も聞かずに僕の自転車生活は、およそ四半世紀ぶりに再開、というか、まあ、あらためてゼロから始まった。

2011-09-26

猫の一群

とにかく猫が大勢やってくる。

住み始めておよそ30年、何世代になるのかわからないが、いつだって猫がたくさんいる。
朝など、腹を減らした一団が、虎(猫)視眈々と食い物が出るのを待ち構えていて、僅かに開いた戸の隙間から次々に殺気立って進入してくる。中には器用に網 戸を開けて入ってくる奴もいる。あるいはクーラーの配管に乗って高いところから家の中を窺う、網戸に爪を立てて上までのぼって、これまたガラス越しに中の 様子を窺う、冷蔵庫を開ける音、煮干の袋を思わせるがさがさいう音で興奮しにゃあにゃあ喚く、などなど、ちょっとした動物ホラー映画だ。

そんなわけで、長年、ひとつの「血脈」を構成する奴らと共存している我々夫婦には、アダムソン夫妻のライオンを知る如く、とまではいかないまでも、一通りの観察に基づく些かの意見がないわけでもない。

猫と共存する、ということは、餌をやる、ということで、そういう意味でこの30年近くの間に我々が彼らに提供した動物性蛋白質ほかはかなりの量にのぼる。 考えてみると、猫はもちろんそれぞれが個性ある個体ではあるけれど、少しマクロに眺めると、全体が大きなひとまとまりで、「個性」にしても、時々良く似た 奴が定期的に出現していることに気づく。いわば「猫のイデア」、遺伝子で伝えられる「猫の設計図・仕様書」みたいなものが確かに実在していて、そこに蛋白 質ほかを投入すれば、件のイデアは受肉して、具体的な個々の猫の姿となる。そんな「反エントロピー」がはっきりと感じられる。

人間もそうなんだろうな。

今はちょうど子育ての真っ盛り、3匹の母猫がそれぞれに1~4匹の子猫を育てているから、我が家のベランダの前、団地のはずれの芝生を小さな猫たちが駆け 回らない日はない。猫たちが母子関係を中心にゆるやかな群れを構成し、一種の共同作業で子育てをする、というのは、猫をきちんと観察した者にはよく知られ ているようだが、目の前の奴らも例外ではない。母猫は同じ一族なら自分の子以外でも、普段は嫌がることなく面倒をみる。それどころか、群れの中で育った若 い猫たち、大人として巣立っていく前の奴らもまた、雌雄の別なく、どの親猫の子であろうと、幼い猫たちを遊ばせ、子守の真似事みたいなことをするのだ。
ま、所詮猫ですから、あんまり事細かにいろんなことをする訳ぢゃありませんが。

2011-09-23

自分のためのノート・・・

こんなスペースをやっていたことさえ忘れていたww
少し前にみたETV-8、福島原発関連の前半部分からわかったこと。
原発産業は軍産複合構造の軍・兵器産業を電力事業・原発産業でおきかえたものに他ならない。
まさに平和利用だったわけ・・・
被爆した物理学者の声で日本独自の研究が遅れ、
導入を急ぐ人々が中身のよくわからない技術を無理に導入、
いろいろあって、
通常の原発が東電(電力会社)に任されて、そうなるとコストが最優先となり、
アメリカから「ターン・キー」で原発を導入、
細かい部分の変更ができないから、わざわざ絶壁を削り、危ない位置に原発設置
というような、負の連鎖があった。
電力関係の利権には、もともといろんな危ない人がからんでいることを忘れるわけにはいかない。
下山事件・・・