2011-09-26

猫の一群

とにかく猫が大勢やってくる。

住み始めておよそ30年、何世代になるのかわからないが、いつだって猫がたくさんいる。
朝など、腹を減らした一団が、虎(猫)視眈々と食い物が出るのを待ち構えていて、僅かに開いた戸の隙間から次々に殺気立って進入してくる。中には器用に網 戸を開けて入ってくる奴もいる。あるいはクーラーの配管に乗って高いところから家の中を窺う、網戸に爪を立てて上までのぼって、これまたガラス越しに中の 様子を窺う、冷蔵庫を開ける音、煮干の袋を思わせるがさがさいう音で興奮しにゃあにゃあ喚く、などなど、ちょっとした動物ホラー映画だ。

そんなわけで、長年、ひとつの「血脈」を構成する奴らと共存している我々夫婦には、アダムソン夫妻のライオンを知る如く、とまではいかないまでも、一通りの観察に基づく些かの意見がないわけでもない。

猫と共存する、ということは、餌をやる、ということで、そういう意味でこの30年近くの間に我々が彼らに提供した動物性蛋白質ほかはかなりの量にのぼる。 考えてみると、猫はもちろんそれぞれが個性ある個体ではあるけれど、少しマクロに眺めると、全体が大きなひとまとまりで、「個性」にしても、時々良く似た 奴が定期的に出現していることに気づく。いわば「猫のイデア」、遺伝子で伝えられる「猫の設計図・仕様書」みたいなものが確かに実在していて、そこに蛋白 質ほかを投入すれば、件のイデアは受肉して、具体的な個々の猫の姿となる。そんな「反エントロピー」がはっきりと感じられる。

人間もそうなんだろうな。

今はちょうど子育ての真っ盛り、3匹の母猫がそれぞれに1~4匹の子猫を育てているから、我が家のベランダの前、団地のはずれの芝生を小さな猫たちが駆け 回らない日はない。猫たちが母子関係を中心にゆるやかな群れを構成し、一種の共同作業で子育てをする、というのは、猫をきちんと観察した者にはよく知られ ているようだが、目の前の奴らも例外ではない。母猫は同じ一族なら自分の子以外でも、普段は嫌がることなく面倒をみる。それどころか、群れの中で育った若 い猫たち、大人として巣立っていく前の奴らもまた、雌雄の別なく、どの親猫の子であろうと、幼い猫たちを遊ばせ、子守の真似事みたいなことをするのだ。
ま、所詮猫ですから、あんまり事細かにいろんなことをする訳ぢゃありませんが。

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