2011-10-25

カリテプリって何だ?

Qualitetprix=カリテプリ、という言い方があるということを最近になってようやく知った。英語で言えばクオリティープライスですな。

一口で言えば値段の割りにいい、というわけで、値段の割においしい安ワインなんかについて言う言葉だそうだ。家ではハイボールとワインしか飲まなくなって しまい、ワインは高いものは近くのスーパーにない(あっても買うのは馬鹿馬鹿しいようなものしかない・・・)ので、あ、いつも飲んでるような奴のことなん だな~。

ところで、800円以下くらいのワインになるとコルク栓ではないスクリュウキャップのものも多くなり、時にはコルクのようでコルクでない、ちょっと不気味 な素材の栓がしてあることも。気のせいなのか、そうでないのか、やはりコルク栓のものは、不断の変化を続けるワインであり、スクリュウキャップのものの多 くは、ワインという名の飲料が瓶詰めされスナップショット化されている感じ・・・。前者は時には栓を開けてから15分後に実力を発揮したりするのだけれ ど、後者はなんだかスタティックな感じ、とでも言えばいいのか。もちろんそうじゃない奴もあるのですが。

おお、これって結構いろんなものについて言えるのかもしれない。例えば役者の演技。芸達者なんて言われている「ベテラン俳優」に、なんと本物のワインじゃ ない(本物のワインが必ずしもおいしい訳ぢゃあないけれど・・・)、ワイン風味飲料の多いことか。ま、そんな理由で津川雅彦の出ている「相棒」は、見るに 耐えない。

2011-10-21

死んだ人のことばかり

今度はカザーフィ・・・

世代的なこともいくらかあるのか、いや、それだけじゃないと思うのですが、カザーフィの、今回の「結末」はどうにもやりきれない。ヨーロッパやアメリカの 都合に左右されないアフリカ経済ブロックを構想していたカザーフィ(正しくはその息子の誰か、らしいのだが)をアメリカが自分の都合で排除した、というの が事の真相で、それは何だか口ざわりのいい、民主化や、まして「革命」とは全然関係ないことなのだ、としか思えない。

成長すべき中国との関係性の中で、将来的なアジア経済ブロックを構想した田中角栄が、立花隆はじめ、CIA協力者を動員してのキャンペーンで葬られたのと、構造的にはまったく同じ問題だ。

暢気な日本人。吐き気がする。

2011-10-14

デニス・リッチー死す

ジョブスが亡くなったと思ったら、ほどなく・・・。

「カーニハン・リッチー」なんてひとくくりで名前を知ったのはもう随分前になる。とうとうCはあんまり理解しないで終わってしまったけれど、その考え方は いろいろと役に立った。もしかすると今でも頭の片隅では、いろんな物事の成り立ちや経緯を、崩れたC、またはもう少し広い意味での関数型のプログラミング 言語で記述してる面がまったくないともいえない・・・。

OSXだってandroidだって遡れば、UNIXがなければ成立しない。毎日使っている Linuxだって勿論だ。世界を創った人達が世を去る時が来たという意味で、これもまた、that day has comeに違いない。

自分とたいして年齢が違わないので、ちょっと背筋がうすら寒い感じもするけれど・・・。

2011-10-11

足利へ

10月8日、土曜日。例年恒例の集いがあって足利へ。

到着は4時過ぎでokなので、9時半にゆっくりと家を出た。おととし、自転車で行ったときは環八から17号で熊谷へ、そこから北上というルートで結構くた びれたので、今年はルート変更して、甲州街道ほかで府中へ、そこから川越に向かい407号で熊谷を通過することに。川越まではまったく楽に到着。
ところが ここでちょっと道を勘違いして、おまけに不注意で痛恨のリム打ちパンク><とほほほ・・・・。ポンプを持参していなかったので、出会った老夫婦に自転車屋 さんを聞くと、親切に教えてくれた。言われた通りにしばし自転車を押してとぼとぼ行くと・・・絵に描いたような昔風の田舎の自転車屋さんが出現。がらっと 戸を開けて声をかけたら、年配のご婦人が登場。事情を説明すると、「あのね、そういうのを被っている人のはお向かいの方が・・・」そういうのっていうのは ヘルメットのことで、言われたように道の反対側をみたら、おお、ロードが停まってる小さなショップがある。
礼を言って道を渡り、ここでポンプを借用。タイ ヤそのものには傷がなく、チューブは持参していたので事なきを得る。やれやれ。結構、いい感じのショップだったので、こんなのが近所にあればなあ。
その後は、とりたてて問題もなく、熊谷、大田、足利へ。走行距離は約115キロ、東京都内を通らなかったおかげでほとんど平坦だから楽な旅。その夜は親しい人たちと痛飲。

目覚めたら既に10時で、あわてて出発。一路、来た道を引き返して熊谷へ。夕方には仕事場に行かないといけなかったので、そこから高崎線で赤羽まで輪行し て時間短縮。日曜日の真昼間だから自転車を持ち込むのも安心。赤羽から王子方面に向かい、池袋、新宿、渋谷と通過して目黒へ。なかなか楽しい二日間だった けれど、仕事場で待ち構えていたのはほぼ徹夜の仕事でした。何だか変なトライアスロンみたいだ・・・><

2011-10-06

さよならapple、さよならmacintosh...that day has come

ジョブス死去の報に接す。

ありふれた言い方、誠にもって手垢のついた言い回し、ではあるけれど、やはり「一時代の終わり」を実感したとしか言いようがない。自分が macintoshに触りはじめた、というかあれこれ遊び始めたのは、当時コーチをしていた少年サッカーの練習場である小学校のそば、一台のIIcxを 拾った1995年頃からだから、ちょっとした季節外れだった。ああ、そういえばその前にPB100でインターネットに繋ぐなんていうことをたまたまやった こともあったっけ。

ともかく、動かすことがそのものが面白く、なるほどmacintoshってこういう風になってたのね、と思いながら、結構な台数を集めいろいろと遊んで (portableやoutboundなんてのにまで手を出したりクロックアップしたり・・・)いるうちに、本家はosXになってしまい、しばらくはあれ これ相当な台数で遊んだけれど、今では手元には僅かにlombard(PBG3)とPBG4が一台ずつ動いているだけになってしまった。どっちも随分前か らubuntuでlinux化しちゃったので、考えてみると出先などで仕事上の必要があるとき以外、MacOSに触れることも久しくない(仕事先には初代 i-macくらいまでの5~6台、展示小道具用にperfomaを中心に「動態保存」してるけれど・・・)。

長ったらしくなったけれど、そんな訳で、自分の中では今のMacは、歴史的な興味は別にして、どうでもいい存在にだいぶ前からなっていた。

で、ジョブスのことだが、同世代であるだけに健康問題が人事とは思えない。ま、こっちは収入も責任もなく、至って簡単な人生なので、その分ストレスも数億分の一程度ですが・・・。

アップル信者じゃないので、今後のアップルの方向などどうでもいいが、また少し世界が退屈でつまらないものになったのは確かだと思う。ウォズニアックは何を思っているのかな~・・・

2011-10-04

自転車、自転車・・・2

(承前)
何とか車にも轢かれずに帰宅を果たし、ようやく何を買ったのかをゆっくり確認。

どうもこれはGIANTというメーカーの(さすがにこれは店先で既にわかっていたけれど)のESCAPE R3というものであることが判明。なるほどね、 とあれこれ調べてみると、何のことはない、売れに売れている一番ありふれた品物じゃあないですか。よくわからないで買っちゃったけど、ま、いいか。

取り急ぎあれこれ勉強してみると、なるほど、クロスバイクというのはマウンテンバイクの部品を使って組まれた街乗り車だそうな。ディレイラーは昔見慣れた 形だから、まあ、大きな問題はなさそうで、おおむねのところは(自分の知ってる範囲で)普通の自転車みたいだ。ところがブレーキだけは見たことのない形式 で、つくりを確認しとかないといけないな~。Vブレーキっていうんだね。
「同様の基本構造を持つブレーキは古くから存在していたが、広く普及したのは日本のシマノ社が1990年代後半にマウンテンバイク用ブレーキとして製品化してからである。」by wikipedia
なので、知らなかったのも無理はありません。後、ディレイラーや初体験のグリップシフターはSRAMっていうところのものだけど、はて、ディレイラーといえばシマノかサンツアーかカンパしか聞いたことない、というのもこれまたVブレーキと同じ事情でした。

落ち着いてよく見てみると、なんだかあんまり質がよくなさそうな部分もいっぱいある。そこがコストパフォーマンスって言う奴と関わってくるんだな、と納 得。さて、そして、いよいよ、通勤、ということになるのだけれど、その前に一度くらい走ってみないと、というわけで夏休みの一日を使って目黒へ向かうも、 雨に降られて情けないことに・・・。それでも20キロは何とかこなせそうなのでほっと一安心して翌日から通勤開始。

実は、最初の一ヶ月くらいは、仕事場に つくと草臥れちゃって、まあ、昼間はずっと体を休められるので(をいをい!)、体力を十分回復して帰宅して草臥れて風呂入って寝る、みたいな感じだったの を白状いたします。

2011-10-03

自転車、自転車・・・

気づいたら自分自身が相当に太くなってしまい、当分このままの姿で年老いてゆくのだと諦めかけた頃。ある日、目覚めたら急に腹が立たってきた。運動しよう。それには・・・・。

というわけで自転車通勤を始めたのは2009年の8月だった。なんだ、まだ2年ちょっとしかたってないのか。

細君と町田まででかけて、よく通りかかっていた自転車屋に入った。いきつけの居酒屋のカウンター越し、Mさんが教えてくれた通りに、「クロスバイクってい うのが欲しいんですが」と店員に言ったら、やけにあっさりと、「あ、これがちょうどいいですね~。サイズも合いそうですし。」とすすめられた緑色のを買っ た。この間、およそ1分くらい。いや、本当は跨ってみたりして、サイズは慎重に決めなくちゃいけないんですけど。1時間ほどぶらぶらして、組みあがりを待 ち(普通、店頭の状態はとりあえず組んだだけで本当は未完成状態です)、それに乗って家に帰る。途中はともかく団地の坂はきつい。フロントを一番小さくし て、リアを一番大きくして、最後は這うような速度でのぼる。たった15キロ走っただけなのに広島に原爆が落ちた日の日差しは強く、息はあがりひどい汗をか く。疲労困憊。う~ん、仕事場までは20キロなんだけど大丈夫だろうか・・・。

子供の頃から自転車は大好きで、大学には自転車通学していたことを、そういえば忘れていた。というか、気に入って今で言えばフラットバーロード風にして 乗っていたプジョーを盗まれてから、自転車のことはあんまり考えないようにしてきたのだ。そんなわけで、変速方法などはわかりますか、という店員に、たぶ ん大丈夫、と応え、たいして説明も聞かずに僕の自転車生活は、およそ四半世紀ぶりに再開、というか、まあ、あらためてゼロから始まった。