2012-01-30

昭和39年、コルベアとセドリック

前回に引き続き映画、または映画の中の自動車のこと・・・

芦川いづみ、浅岡ルリ子、吉永小百合、和泉雅子が四姉妹に扮した『若草物語』が最近BSで放映され、録画で鑑賞。偶然にも『ああ結婚』と同じ1964年の封切りで、長女芦川の夫役に内藤武敏、下の三人の相手役に浜田光夫、山内賢、和田浩冶の若手スタア三人に少し世代が上の杉山俊夫も大事な役で登場する。ほかに伊藤雄之助が姉妹の父親役で、田代みどりが和田の妹役で一瞬、顔をみせる。

題名とは裏腹、物語はオールコットの名作とは無関係で、大阪から父の再婚相手(東恵美子!)との同居を嫌った姉妹三人が家出を敢行、東京で団地住まいの長女夫婦のところに転がり込むところから始まるオリジナルストーリーの青春群像恋愛劇(!)。ワイドスクリーンによく考えられたカラースキームが映える映像は悪くない。女優陣も頑張っているし、浜田と和田の演技も思いのほかいい。しかし、脚本には妙なところが多々あり、何よりとにかく編集が悪過ぎて映画としてはどうにも完成度が低い。吉永小百合はまるで神経症みたいに感情の起伏が激しい、説得力ゼロの人物造形で、まじめに演じる吉永がまことに気の毒。和田の演じる金持ち青年もどうやらDV常習者のようで、終劇後の新婚生活が心配だ。山内賢に至っては、いくら生涯で一番映画にたくさん出ていた忙しい時期だったにしても、何だか一日で撮影したみたいな感じで、どうにも存在感が薄く、ドラマには何の役割も果たさない。逆にひたすら能天気に徹する和泉雅子が一番の儲け役かも。南極行くまでまだだいぶ時間がある頃で、結構かわいいし。

と、まあ、相当に文句も言いたくなるのだが、それでも、やはりこの映画は極めて興味深いものだった。というのも、背景となっていて、空撮まで駆使してかなりたっぷりと映し出される1964年の東京の様相は、まさに自分にとっては思い出の中のもので、もう一度見たかった街角がよみがえる、という意味で、これはまあ「リアル三丁目の夕陽」でもあるからだ。

となると、当然街の風景の中の自動車も気になるところ。セドリックやクラウン、フラットデッキのグロリア、コロナ、ブルーバード、コンテッサなどなど昭和30年代後半の国産自動車総出演が嬉しい。そんな中、特に大事な役なのが内外二台のクルマ。空港からモノレール乗り場を探す姉妹三人に声をかけ、家まで送る和田浩冶(そのご都合主義的唐突さは措くとして)が乗っているのは白いシボレーコルベアのスパイダー。VWイーターになるべく準備された珍しいリアエンジン車で当時のお金持ちの坊ちゃんには相応しい。出演者や関係者の所有者だったのだろうか。この時代の映画ならそんなこともありそうだ。映画紹介サイトで「ポルシェ」となっていたのは笑ったが、リビューアーは何故かリアエンジンであることだけは理解していたようだ。その和田とは恋敵、浜田光夫の会社が仕事に使っているのがセドリックのエステートワゴン。四つ目が横位置になってからの後期型で、5ナンバーの乗用車扱いの方だ。ラップアラウンドのフロントスクリーンが国産車としては珍しい初代セドリックだが、ワゴンタイプは荷室のサイドウィンドウもテールゲート側に回りこんだ凝ったデザイン。コルベアスパイダーとは好対照で、二人の青年のキャラクターを際立たせてもいる。

前に『恋文』で戦後ほどない渋谷の光景を見たときにも思ったことだけれど、映画はドキュメンタリーであれ劇映画であれ、どちらにしても、ある時代の光景を意図にかかわらず、余計な細部まで記録して、思いがけないみずみずしさで蘇らせてくれる。それもまた映画の面白さ。「それは、確かに、そこにあった」という単純だが、しかし多彩な快楽に満ちた映像・・・ということなんだろうな~^^

2012-01-29

マストロヤンニとアルファロメオ

ソフィア・ローレンという女優がたいしたものであることは、わざわざ言うまでもないことなのですが・・・

そのソフィア・ローレンが名コンビとも言えるマストロヤンニと愛人、というか夫婦というか、まあそんなものを演じているのが『あゝ結婚』、30年ぶりで見て面白かった。以下、プロットを書くわけではないけれど、一応「ネタばれ」注意で、万一まだ見ていない方はご注意を。

映画が公開されたのは1964年。冒頭、タイトルバックに使われているナポリの街角にはジアコーサの名作フィアット600があふれ、それだけで既にちょっと嬉しい。ファミリーカーは戦後世代になっているけれど、タクシーはまだまだ戦前型が基本のランチアが走り回っていて、映画の冒頭、病気で倒れたソフィア・ローレン、じゃなかったフィルメーナ・マルトゥラーノがタクシーから降ろされローマ法王みたいに椅子で運ばれるシーンがあるけれど、そこに出てきたのもそんな古めかしいタクシー。
1940年頃からの23年間が舞台とあって、このほかにも魅力的な車が結構出てくるが、マストロヤンニ演じる遊び人のドメニコ・ソリアーノが乗っているのもイタリアの各世代のスポーツカーだ。
最初は1935~36年あたりのランチアのアウグスタ。戦前の良き時代のこの車は、後にドメニコの使用人にしてフィルメーナの執事役、フィルメーナに求婚して「無理!」みたいに断られてもなかなか諦められないアルフレートが「お古」をもらって乗っている、という意地悪な設定で再登場。
次は、戦争が終わり、再会した二人が競馬場に行くシークエンス、初めて人前に連れていってもらえると思い込んではしゃぐフィルメーナ、しかし実は競馬場は休日、というほろ苦いシーンに出てくるのは、戦後間もない1947年(48年かも)のアルファ6C2500。中身は戦前だが、オラツィオ・サッタが大いに近代化したシャーシにピニン・ファリーナの5座キャブリオレ。ソフィア・ローレン本人みたいにゴージャスなボディーの一台は、身請けされ新しい家に住み、娼婦から愛人に、というフィルメーナの運命とメタフォリカルに照応する。
映画の後半、フィルメーナの一番下の息子がいるガソリンスタンドに修理依頼を装ってドメニコが乗り付けるのもアルファロメオだが(さらにこの後、フィルメーナとの重要なシーンでも道端に停められている)、こちらは映画公開当時まだ新しかった1962年の2600スパイダーでトゥリングの2+2。本当はフィルメーナを捨て若い女と結婚しようとしていたドメニコには、今度はこんな新型車がお似合いだ。ともあれ、どうやらイタリアの伊達男は屋根のちゃんとある車には乗らないらしい。
こんな車の変遷・選択にも、戦時下から戦後へと、時代がよく表現されていて「さすが」で、ドラマの中でメタファーとしての役割を振り当てられているようにさえ見える。いつも思うことだけれど、ヨーロッパやアメリカの映画はこういった車の選び方が実にうまく、面白い。

ところでこんな「映画と自動車」を調べるのには便利でマニアックなサイトがある。http://www.imcdb.orgでみると随分いろんなことがわかり、自分のうろ覚えも確認できて便利です(何の役にも立たないけれど)。大概は自分でわかるものが多いのだけれど、例えばこの映画では、ドメニコの店先のシーンで荷物のあとからフィルメーナまで降りてくるミゼットみたいな(というかそのパクリ元か)小型のバンがピアッジオのape(エイプじゃなくてアペ^^)なんていうことは、こういうデータベースで見ないと見落としがちだ。

映画のことを書くつもりが、すっかり映画の中の自動車のことで終わってしまいそうなのですが、まあ、そういうことなんだな。肝心の映画は、やはりソフィア・ローレンのためのソフィアローレンの映画であることは言うまでもなく、凄い女優をまさに堪能できる逸品だ。若いころにはわからなかったこともいろいろあり、身につまされることや、ほろ苦いこともあり、ともかく50過ぎになったら絶対に見るべき映画だと思う。いや~映画って本当にいいもんですね、さよなら、さよなら、さよなら・・・(まざっとるがな)

2012-01-23

Kが大好きだった、そうな・・・

コダックがいよいよ駄目になったらしい。「つけ麺大王」のカウンターにあった新聞によると、だけど。

仕事でも何回か日本法人にお世話になって、ロゴもおなじみだし、何より、30年ほど前、今の団地に引っ越してリニューアルする時に、スチールのドアの内側(ほかあちこち)を、ペンキ屋の親方にフィルムの箱をちぎって見本にして、この黄色にしてください、とお願いしたくらい、黄色いパッケージは大好きだった。ま、その頃はまだあんまり写真は撮らなかったし、ポール・サイモンの歌があったからと言うわけでもないのだけれど。ちなみに、「僕のコダクローム」はもともとCMソングじゃなくて、逆に90年代になってからCMにも使われたが、自分が覚えているのはもちろん70年代、S&Gが袂を別った頃のこと。

経済欄の受け売りなど試みてみると・・・フィルム撮影の衰退によりコダックやフジをはじめそれで食っていたところは皆、業態の変換を迫られたけれど、それがうまくいかなかった、というのが根本的な原因、とある。今頃、何を言ってるんだか、という話だけれど、まあ、結局はそういうことなんだろう。もちろんコダックだってデジタル化を指をくわえて見ていた訳でもなく、オリンパスと一緒にフォーサーズ規格をつくり、優れた撮像素子も送り出していた。しかし、「なりふり構わず」とさえ言える変貌で生き残ったフジなどに較べると、やはり本業への拘りがあって、普通それは良いことだろうと思うのだが、こういう事態には対応しにくかったらしい。一昨年にもコダックが再びフォーサーズ規格の撮像素子をオリンパスに、という噂があったけれど実現しなかった。なんだかオリンパスとコダックじゃ「泥船連合」(失礼><)みたいで悲しいが。

記者氏の書くように、それが、信念がなく小回りがきく日本式経営と、時に信念が変革を邪魔する古いアメリカ式の経営の違いによるものなのかどうか。それはわからないけれど、どちらにしても誇り高い一族経営で写真の歴史をつくってきたロチェスターの会社には、残酷だけれど、生き残る能力、適性がなかった、ということになる。「中国のメーカーからOEMで安いデジカメ入れて、後、会員制のフィットネスクラブとホテルの経営を強化して、燃料電池のベンチャーに投資したいんですが」「それはならん。我々こそ写真の歴史そのものなんじゃ」「お爺さまは今、このアメリカで起きていることがおわかりになっていないのです」「おまえにはまだわかっておらん。古今東西、人間とは同じようなものじゃ」・・・な~んていう会話が展開されたりしたのかしら。まさかね。

デジタルのカメラは確かに簡単に楽しめるし、一方、深く掘り下げれば、写真として考えたりやったりすることも沢山ある。しかし、「写真を撮るよろこび」については今は措くとして、実際問題として、今でも大判のポジを撮影してそれをデジタイズした方が、実は手軽によい画質を得られる。もちろんそれには、いいフィルム、まともに写真の撮れるカメラマンとか、プロラボとか、いろんな過去からの資産が使えてこそ、ではあるけれど。その「資産」が急速に衰退しているのがこの時代なんだな~

2012-01-22

安いスマホの話

IDEOSという中国製アンドロイド・SIMフリー機を去年の頭から使っている。入れているのはwillcomで契約したdocomoのデーター専用 SIMで、使い道はメールチェック、GPSマップ、テ○リングといったところ。悪い機械ではないし、それなりに楽しめるのだが、如何せん老眼の進行した自分には画面が小さく、また、ひどく遅くて電池がもたないのにも困る。一度バスの中におき忘れたのが戻ってきた縁起のよさもあり、捨てる気になかなかならないのだけれど、そんなことで不満が無いといっては嘘になるし、ま、考えてみるとあんまり良くないな~。

正月過ぎ、ふと立ち寄った町田のソフマップで8000円弱で叩き売られているRstreamA1というのを発見。androidが2.1ということもあり、一度はやめようと思ったのだが、2.2にできるかも、というのにつられてついつい手を出してしまった。2.1だからテ○リングできないのは困るのだが、画面も速度もIDEOSに比べれば遥かにマシ。あまり詰め込んで重くしないように気をつけて使ってみると、こんなものでも十分役に約に立つ、という感じ。もう一台買って、2.2化などに挑戦してもよいのだが、IDEOSも動くし、ということで、今日この頃は、スマホ2台、Hybrid-ZERO3、willcomTTを持ち歩いていて、何だかちょっと頭が悪そうな状況になっています。

電車の中でも「i」何とかをはじめ、皆がスマホをいじっていて、そろって画面を一所懸命こすっているのが奇妙な感じだけれど、皆、一体何をやってるんだろうか。メールのチェック以外に、録画したテレビの視聴なんかを本当にやってるんだろうか。一昨日の朝、すぐそばにいたサラリーマンは、「モノポリー」に熱中していた。会社に行く途中でボードウォークにホテルを建てたり監獄に入ったりするなんて、ゲームの中でのゲームみたいで、なんだかちょっと物悲しい。

2012-01-16

またもや、だらだらした休日の話

何だか、あれこれと場当たり的なことをやっているうちに一月も半分が過ぎてしまった。ああ、こんな風に今年も過ぎてゆくのだろうか。まあ、それでもいいんだけれど。

昨日の土曜日は寝坊したあと、正月に行きそびれた川崎大師をめざして家を出た。いつもの向ヶ丘遊園からの府中街道一本道では少々面白くないので、今回は尻手黒川道路(都市計画道路尻手黒川線という厳めしい別名もあるらしい)に清水台から出て、後は直進して川崎駅前に。これまた一本道だけれど、二車線道路にしては少し幅が広めなのと、アップダウンが少なく適度に街並み風景が変わるので自転車移動には悪くない。川崎駅からはやはり府中街道にでてしまうことになるので、たいした変わり映えでもないけれど、それでも少しは楽しい。小正月のお大師さんは前々日の「アド街」放送がさらに上乗せしたのかどうか参拝客で大賑わい。交通規制はやってないので参道は自動車も通り、ミニパトが再三「歩行者は歩道から降りないでください」とやっているけれど皆知らんぷり。

さて、自転車はどこに置こうか、ちょうどいいところに信金が、と思ったら、何と鍵を持ってきていない。ああ、今日は同じドイターでも一回り小さい方にしたんだっけ、と気づいたところで手遅れ。お参り出来ないじゃん><ということで、心の中で手を合わせて厄除け交通安全など手前勝手なことをお願いして帰ることにする。それにしても自転車に乗ったままで何もしないで、というのも悔しいし、一円も落とさないでお願いばかりもないもんだ。というわけで表参道出口の福嶋屋に自転車を引いたまま寄って「久寿餅」を勝って帰ることに。「看板娘」に「お兄さん、自転車どっから来たの」と尋ねられ「登戸のも少し向こうから」と答えてちょいとお喋り。「気つけて帰ってね」と送り出される。自転車を車道に引き出そうとしたら、「今のお客さんね、この寒いのに登戸の向こうから自転車だってさ」と次の客に話しているのが聞こえてくる。

走行50キロほどの楽な距離、何しろただただ往復しただけなので、家に着いたらまだ2時前。鍵がないから飯も食えなかったので、冬休みで帰国中の息子が布団のなかでぐだぐだしているのを横目に遅い昼食をとったら、自分も眠くなってしまった。息子を手本に(?)自分も午後はだらだらと過ごし、日曜といえ仕事で出ていた細君が帰ってきて、三人で夕食は新百合ヶ丘の回転寿司に繰り出すことに。今日は少しくらい並んでも我慢するぞ、という意気込みだったから、20分くらいの行列など気にも留めず、三人並んだカウンターで景虎を傍らにあれこれ食って満腹になる。どうも最近、食べ方が上手になったのか、量の割に勘定の具合がいい(安いのを食っているだけです)。

だらしなく、何も考えず、なかなか良い休日。そうそう、夕食後に家についてから食べた「久寿餅」は適度な歯ごたえと素朴な味わいで、大変に結構でした。

2012-01-07

パスタを食していろいろ考えた話

昨日からやっと働き始めたばかりなのに、今日はお休み。あいすみません、世間の皆様。そんなだらだらしている人の日記「みたいなもの」を書いてみます。

休みとはいえ、いつもの事ながら「なにやかにや」とあって仕事場に自転車で往復。浅間記念館からお借りして昨年末まで展示していたライラック・ランサー、先方から引き取りに来ていただくという、まったくもって申し訳ない有難いお話で、本当に感謝。もっとよくよく見ておけばよかったけれど、後の祭り。いろいろな工業製品のデザインの中でもモーターサイクルは特に「ごまかしの利かない」ものぢゃないかと思う。DP90も見たかったな。関西に良い状態のものが生存している由。いつか、どこかで、是非見てみたい。

午後遅くならないうちに、寒風の中、多摩川土手を走って帰宅。この間からどうもRDの調子がおかしい。がつっと踏み込んだ時に、異音と一齣ずれたような感覚がある。ここまで駆動系は一切部品交換なしで2万キロ走ったから、チェーンも伸び多少は草臥れてきたんだろうか。シフトに関するワイヤーの調整は、自分に出きるだけのことはやったつもりで、事実、上げても下げてもスムーズそのもの。とはいえ、どこかに問題があるので、次の休みにじっくりと追求することにしたい。
帰宅してみると『相棒』の比較的珍しい二話、小松政夫が仕立て屋のやつと、女性監察官が杉下右京をターゲットにするやつをやっていた。小松政夫の最後のシーンからついつい見てしまう。もっともこの仕立屋のシーン等々については、かつて引退した本職職人と話したことがあり、そのDさんによれば「よくできてはいるけれど、ちょっと違う」んだそう。ただし、杉下右京の毎回のスーツ選択には玄人にはわかる工夫があれこれとあるとか。

すっかり隅まで知っているドラマをまたまた眺めてだらだらと過ごしてから、夕食ついでに新宿にDVテープを仕入れに出かけることに。80分テープも10本セットで売ってると良いのに・・・。60分なら225円/1本なのが80分だと急に3倍以上の値になる。もっとも、ヨドバシカメラでの扱いをみても、早 晩、DVはほとんど使われなくなるのだろう。世界のどこかではC-VHSが今でも使われているそうだが、そのC-VHSのダビングがこれらDVテープの使い道。
夫婦そろって新宿での食事はどうも苦手。パリ4区くらいしか思い当たらず、渋谷へ。マークシティのLa casa di Nao がちょっと前から気になっていたので、そこに入ってみる。博多に本店のある店だそうで、ちょっと『バンビーノ』を思い出したりする。おりしもオーナーシェフ氏の姿も店内に。ワインがグラス売りハウスワインかやや高めのボトルか、というのにまず、ちょっとがっかり。せめてハウスワインはデキャンタで売ってくれないかな。前菜4種の盛り合わせはまずまず。ニョッキのゴルゴンゾーラもポモドーロもそこそこうまい。チーズをけちらないところも良い。もっとも大変よくできていたニョッキに対して、ポモドーロは些かクチーナから我々の席までの距離か時間が長すぎたようだけれど。

隣のテーブルの結婚間近カップル(観察と盗み聞きの結果です)がピッツァを頼んでいて、これもおいしそうだった。もしかするとベストバイかな?ちなみにこのカップルの男性の方は「タバスコを」と所望していた@@;。若いのにいまどき珍しい奴だ。彼女に馬鹿にされ ないとよいのだが。
と、料理そのものはまあまあなのだが、接客がどうにもこうにも。すべてのサービスのタイミングがおかしく、ぎくしゃくとしている。食べ終わった皿をあっという間に取り上げに来るのは不愉快を通り越して、どこでみてたんだろう的な、「とんき」のキャベツおかわり、みたいな感じで笑っちゃいそう。最初からパルメザン入りのオーリオを置くのなら、パンはもっと早くもってきて、おかわりもすすめるべきだ。ワインのお代わりや追加の料理やデザートをやけにすすめるのは、典型的な「家賃が高い」状態のあらわれだから、やればやるほど貧乏ったらしく逆効果なのがわからないかな~。一人断ったのにもう一人来たのにはちょっと驚いた。インドじゃないんだから。なかなか押し出しのいい黒服はじめ、スタッフはほとんど教育を受けていないようで、正直可哀相だ。一皮剥くとうまくいっていない店なんだろうな、などと本家家政婦みたいなことを言いたくなる。

日曜日に自らカウンターに入ってラーメンをつくるN社長にでも叱ってもらって、ピッツァだけに絞るのが生き残りの道かもしれないし、プリフィックスだけに絞り込みたいのなら、そうした上で魅力を考えるべき。な~んて、客というものは我が儘な上に生意気なものだ。いつも思うことだけれど。
二度と行きたくない、というより、別に酷くまずいわけでもないので、今後どうなってしまうのか、面白いのでまた見てみたい、という感じの店だ。

2012-01-01

つつしんでしんねんのごあいさつをもうしあげます

あたらしく迎える西暦を見るたびに、「未来だ~」と思ってしまうのは私だけでしょうか。その上、昨年は地震は兎も角として、その後の展開が「こんな未来は嫌だ」的な展開になり、いまだそれが継続している訳で、まあ、とにかく今年は平穏な一年になってもらいたいものであります。皆様におかれましても、本年が良い年になりますよう、心からお祈り申し上げます。

と、思いつつ新聞を広げたら、いきなりの一面見出しが「核燃料直接処理コストを隠蔽」で、ああ、やはりこの話からは逃れられないんだなあと実感。核燃再処理から国や東電が逃げないように、本当は安い直接処理(これも要は捨てて埋めるだけだからちっとも感心しない話ではあるけれど・・・)のコストを、いわゆる「ムラ」の人たちが隠蔽した、というある意味きわめてわかりやすい話で、正月から軽く国民の気持ちをげんなりさせる効果は抜群。

考えてみれば原子力発電による安くていくらでも使える電力、なんていうのはかつての「未来」の幻想にかなり重要な役割を果たしていて、自分などはまさに無邪気に『鉄腕アトム』的な未来をどこかで信じていた。そんな「原子力の平和利用」を、「進歩的な知識人」、被爆者・原水禁も原子力空母の入港に反対する人たちも共産党も社会党も、なぜだか判断停止状態で率先して支持していたのは確かで、たぶん、「反戦米兵」をかくまった人たちも、大菩薩峠の「軍事キャンプ」で「総括」を続けた人たちも、成田闘争に馳せ参じた人たちも、ほとんどが同じだったのではないだろうか。そういう意味で「隠蔽」されていること、「隠蔽したいこと」はあちこちにまだまだ沢山あるんだろうな~^^;