2011-11-24

調子が悪い相棒

楽しみにしていたシーズン10なのに、何だか不調のまま進んでいる。
各エピソードそのものは、致命的な不出来とまでは言えないのだが、脚本の責任が大きいのだろうか、出来栄えはどうも今ひとつだ。例えば最近のものでは世間でも不評だった研ナオコが出た回。

プロットそのものはまあまあで、過去にもこの程度のプロットからそれなりに面白くなったエピソードは少なくないように思う。ただ、今シリーズにどうも通底 している、タメのない薄さ、みたいなものが顕著で、やはり出来栄えは薄味だった。これは沢山の人が指摘していることだけれど、とにかく研ナオコが歌も演技 も下手で、どうにもこうにも興をそぐ。いくらなんでもあの「サマータイム」はないだろうし、どう見ても伝説的ジャズ歌手じゃなくて、呂律の回らない婆ジャ ンキー(・・・つまり本人?)としか見えなかった。

流れで言えば、もっとゆっくりと研ナオコ犯人説の証明にアプローチし、ようやく準備が整ったところで、最後にささいなきっかけから(ア・プリオリに与えら れた条件からじゃなくてね^^;)真犯人へとずらされる、という必要があり、それだけがこの脆弱なプロットを面白くする道だったと思う。研ナオコが決定的 に脚を引っ張っていたとはいえ、もう少し何とかなったはずなのにな~という感が強く残念。

「相棒」の面白さは、物語内にきちんと世界が構築されていて、それゆえ、「テレビドラマ」としての多様なアプローチが可能になり、例えプロットやトリック は破綻していても、元来が荒唐無稽と知っていても、それでもある種の説得力を持ち得る、その世界の実在を信じられる、というところだと思うのだが、どうも シリーズ10は、これまでに培われた「実在感」は、損なわれるばかりで、まったく生かされていないように思う。

「小野田さん」や「花の里」の不在も大きい。前者は「警察と特命係と杉下右京」の歴史にいつも注意を向けさせ、いわば通時的な実在感の「証拠」の役割を担 い、後者は事件について知らない「たまきさん」、彼女と右京さんたちの会話によって、物語外にいる自分との間に共時的な実在感の契機が与えられていた、と 見ることができるかもしれない。特にいろいろな都合で後者が強引に取り去られてしまったのは大きな損失だ。また、これは前者に関わることだが、警察の自己 保存の機構と、ちょっと頭のおかしい杉下右京の正義があれこれと齟齬をきたすような部分も弱まってしまい、何だか偉そうにする変な刑事があまり頭を使わず に、予定調和で事件を「処理」しているように見えてしまうのが期待外れだ。このまま行ってしまうのだとすると(たぶんそうなのだろう)、噂どおりに最終シ リーズということになるだろうが、何だかそれならやらない方が良かったような気もする。

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