2012-02-16

R380(あーるさんはちまる)

昨日今日と。風邪ひいて鬱々としてじっと過ごしてしまいました。

最近買った二玄社SPORTSCAR PROFILE SERIESのプリンス/ニッサン R380~383シリーズなどを熟読して、ひたすら後ろ向きに趣味の世界に没頭・・・。

偶然、テレビ放映された「第3回日本グランプリ」を見たのは小学校4年生のこと。滝進太郎の「カレラ6」とプリンスR380の戦いに心を奪われた記憶が^^そして翌年は高橋国光の「ニッサン」R380A-II対生沢徹カレラ6の戦いに夢中になりました。両者コースアウトからの再始動で勝負がついてしまったのは歴史が語るとおり。踵を接してのスロットカーレーシングのブーム(人並みに熱中した)もあり、何だかひどく懐かしい時期から話が始まるこの本は、ニッサンとプリンスの合併、というか吸収劇をはさんで、60年代後半のメーカーの威信をかけた少々「いびつ」でさえある初期の日本モータースポーツ史を彩る(というか、その主役中の主役であるところの)プリンス/ニッサンのグループ6/7のレーシングカーを丁寧な取材と写真で紹介している。もっとも写真はほとんど知っているもの、手元にリアルタイムの雑誌記事で今でも持っているものなんだけれど、櫻井眞一郎氏亡き今となっては、なかなか詳しい取材もできないだろうから、とりあえず暫定的決定版といったところではないだろうか。櫻井氏といえば、目黒通りを時折今でも走行する「オーテック・ステルビオ」の赤の個体があり(先週も見た)、また、大橋付近には実動は疑わしいけれどガレージに収まった別のステルビオがいる。余談ですが^^

 いろいろと個人的に面白い記述も多く、何より、同時代には断片的にしか判らなかった個々のレースに出てきた個体間の関係(例えば68年の鈴鹿1000キロ出走車が何で速度記録車と同じカラーリングだったのか)など、少し「積分的」な流れが何十年ぶりに理解できて非常に面白かった。改めて興味深かったのは、ニッサンやトヨタのような大企業でさえ、実は70年代になっても現代的なモノコックレーシングカー、ローラT70みたいないわゆるツインチューブのコンテンポラリーなシャーシを自力では開発できなかったという事実。もちろんスペースフレームやストレスドスキン付きのセミモノコックだから古いと決め付けるのも短絡的だけれど、ローラ流の引き写しじゃない何か別のもの、何か(例えばマトラMS660みたいな奴)がつくれてもよかったのではないかと改めて思う。
違う話になるけれど、日本の原子力発電所が、実はあまりきちんと内容を理解しないうちに建設されて、実用的に動けば良い、くらいの感覚がどこかにあったことが先般の「人災」の根底にあったことと、やはりどこかで繋がっている話で、「技術立国」なんて偉そうにしていた日本の産業にもあんまり大きな声で言いたくないような「パクリ」や「コピー」の前歴があって、払拭なんかされていなかった部分がある、というようなことを思い浮かべてしまう。

 それにしてもR381の「エアロスタビライザー」の発想、技術の原点はどこから来てるんだろうか。大げさでなく「宇宙人」の示唆に従ったんじゃないか、というくらい当時のプリンス/ニッサンの技術力からは飛躍があるように思えてならないのだけれど。戦時下の何かにルーツがあったりすると面白いんだけどな~。ところで、初代のプリンスR380もまた現在の駒場第二キャンパスの3メートル風洞で試験されたことがわかり、つい最近この風洞を実際に見る機会があったばかりなので、ひときわ感慨深いものがありました。

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