2012-02-10

東急文化会館を思い出す

とういうわけで、東急文化会館のこと。

東急の強盗慶太こと五島慶太の依頼で坂倉準三が渋谷駅周辺のプランを任されたのは1950年代。ターミナルビルに百貨店が複合化された「東急会館」(1954年完成)の2年後、坂倉の基本プランで1956年(自分の生まれた年だ)に出来たのが、ショッピングモールにレストラン、映画館、プラネタリウムなどがある「東急文化会館」。時あたかも映画全盛期、映画館が無数に出来た頃だけれど、中でも文化会館は複数の映画館を集めた「映画デパート」なんていわれるような施設だった。
そんな「文化会館」のささやかな思い出を・・・

井の頭線に乗れば家から30分足らず。屋上に巨大なドームをそびえさせるプラネタリウムがビルのシンボルで、家族で、また、学校からも何度も訪れた。プラネタリウムでの「投影(というか投光?)」そのものも素晴らしかったけれど、『アトム』から抜け出したようなプラネタリウム本体の「メカおどろおどろしい」姿や星座をあしらったみやげ用キーホルダーのずしりとした手応えと一緒に、ドームを丸く囲む廊下に並ぶ歴史的な天体望遠鏡の精密模型が目に焼き付いている。それらの模型に直接手を触れて、可動部分らしきところを動かしてみたい、というのが小学生の自分の夢だった。機械仕 掛け偏愛者になったのも、もしかするとその影響からかもしれません。

四つある映画館では、40年以上に渡り、ロードショウから名画までいろいろと見たけれど、やはり一番印象に残っているのは、生まれて初めての映画『101匹ワンちゃん大行進(初公開時タイトル、後「大行進」は省かれることに)』。調べてみると、日本公開は1962年7月27日だそうで、6歳になったばかりの夏だったんだな、あれは。
脱線すれば、地元の居酒屋で、「生まれて初めて見た映画」という話になったことがあり、『ゴジラ対メカゴジラ』だの『愛染かつら』や『オーケストラの少女』などに混じって金語楼の『プロペラ親爺』なんていう戦時下作品の名が出て面白かったっけ。ちなみに自分の父の最初の映画は『オペラ座の怪人』(1925年版・弁士がいたそうなのでサイレントの方と思われる)で、帰宅後眠れなくなったほど興奮し、以来映画に夢中になったと聞いた覚えがある。
その父親は漫画映画が大好きだったから自分も見たくて『101匹~』に連れて行ってくれたようだけれど、中学時代の友達に、父親に連れて行かれたのが渥美マリの『いそぎんちゃく』(1969年)で、エロシーンに酷くバツの悪い思いをした奴がいた、なんていうのは、さらにさらにどうでもいい脱線^^;
話を戻すと、高校生以降になると、主に6階の「東急名画座」や、300円で楽しめる「東急レックス」で随分いろんなものを見た。地下のレックスの客席に柱があったことは覚えていても、肝心のタイトルや中身はほとんどすっかり記憶から抜け落ちていて、『山猫』と『エイリアン』しか覚えてない。あまり良い映画を観なかったのかな~

だらだらと脱線しているうちに草臥れてしまいました。明日へ続き・・・そうな感じ~

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