走行2万キロ到達。もう少し、というところまで来ていたので、先々週は普段の通勤に加え、通勤→横浜のギャラリーへ→帰宅、で約95キロ、休日に自宅→江ノ島→茅ヶ崎→帰宅、で約105キロ。思惑通り、江ノ島行きの途中、467号線長後付近で到達。直前に記念写真を一枚。いつもこういうチャンスはうまくいったためしがないので、ちょっとびっくり。
まあ、まずまずよく走りました。3年3ヶ月かかったのは決して早くはないけれど、こんなものでしょう。ここまで消耗部品は結構まめに交換してきたけれど、とうに延びて交換時期になったチェーンと、このチェーンのおかげで変な風に磨耗してしまったスプロケット(後ろのギア)については手抜き、というか、ほったらかしにしてきた。というわけで、先週は部品(チェーンとスプロケット+コネクティングピン)と工具(チェーン切り、フリーホイー^ル外し二種)の入手にあてて、全部揃ったところで、月曜日に交換作業を敢行。
チェーンを切るのはたぶん冗談抜きで35年ぶりw。こんなに簡単だったかな~と思うくらい天下のshimanoの工具は使いやすく、スプロケットの方(これは生まれて初めて)も、事前のリサーチとイメージトレーニング(?)のおかげでスムーズに進行して、あわせて30分もかからずに終了。11T~32T(1速から8速の歯車の数です)と、いかにも「クロスバイクです」という感じにワイドだったスプロケットは13T~26Tとロード用の中ではワイドな奴とはいえ、大分クロースレシオなものに交換。ま、うまくいくことがはっきりしている、いかにもありがちな改造ではあります。
結果は予想外に良好。なんだか細かくシフトするのが楽しくなって、結果的には、ほんの少し(通勤片道につき1分半程度?)楽に速く走れるように。もう少し調整を進めればさらに気分良く走れそうな予感が。
2万キロを支えてくれたチェーンは、106コマであわせると、ちょうど二コマ分伸びていました。次はBBまわりの工具も揃えようかと。何はともあれ、機械いじりは楽しいな~。
2012-11-14
2012-02-16
R380(あーるさんはちまる)
昨日今日と。風邪ひいて鬱々としてじっと過ごしてしまいました。
最近買った二玄社SPORTSCAR PROFILE SERIESのプリンス/ニッサン R380~383シリーズなどを熟読して、ひたすら後ろ向きに趣味の世界に没頭・・・。
偶然、テレビ放映された「第3回日本グランプリ」を見たのは小学校4年生のこと。滝進太郎の「カレラ6」とプリンスR380の戦いに心を奪われた記憶が^^そして翌年は高橋国光の「ニッサン」R380A-II対生沢徹カレラ6の戦いに夢中になりました。両者コースアウトからの再始動で勝負がついてしまったのは歴史が語るとおり。踵を接してのスロットカーレーシングのブーム(人並みに熱中した)もあり、何だかひどく懐かしい時期から話が始まるこの本は、ニッサンとプリンスの合併、というか吸収劇をはさんで、60年代後半のメーカーの威信をかけた少々「いびつ」でさえある初期の日本モータースポーツ史を彩る(というか、その主役中の主役であるところの)プリンス/ニッサンのグループ6/7のレーシングカーを丁寧な取材と写真で紹介している。もっとも写真はほとんど知っているもの、手元にリアルタイムの雑誌記事で今でも持っているものなんだけれど、櫻井眞一郎氏亡き今となっては、なかなか詳しい取材もできないだろうから、とりあえず暫定的決定版といったところではないだろうか。櫻井氏といえば、目黒通りを時折今でも走行する「オーテック・ステルビオ」の赤の個体があり(先週も見た)、また、大橋付近には実動は疑わしいけれどガレージに収まった別のステルビオがいる。余談ですが^^
いろいろと個人的に面白い記述も多く、何より、同時代には断片的にしか判らなかった個々のレースに出てきた個体間の関係(例えば68年の鈴鹿1000キロ出走車が何で速度記録車と同じカラーリングだったのか)など、少し「積分的」な流れが何十年ぶりに理解できて非常に面白かった。改めて興味深かったのは、ニッサンやトヨタのような大企業でさえ、実は70年代になっても現代的なモノコックレーシングカー、ローラT70みたいないわゆるツインチューブのコンテンポラリーなシャーシを自力では開発できなかったという事実。もちろんスペースフレームやストレスドスキン付きのセミモノコックだから古いと決め付けるのも短絡的だけれど、ローラ流の引き写しじゃない何か別のもの、何か(例えばマトラMS660みたいな奴)がつくれてもよかったのではないかと改めて思う。
違う話になるけれど、日本の原子力発電所が、実はあまりきちんと内容を理解しないうちに建設されて、実用的に動けば良い、くらいの感覚がどこかにあったことが先般の「人災」の根底にあったことと、やはりどこかで繋がっている話で、「技術立国」なんて偉そうにしていた日本の産業にもあんまり大きな声で言いたくないような「パクリ」や「コピー」の前歴があって、払拭なんかされていなかった部分がある、というようなことを思い浮かべてしまう。
それにしてもR381の「エアロスタビライザー」の発想、技術の原点はどこから来てるんだろうか。大げさでなく「宇宙人」の示唆に従ったんじゃないか、というくらい当時のプリンス/ニッサンの技術力からは飛躍があるように思えてならないのだけれど。戦時下の何かにルーツがあったりすると面白いんだけどな~。ところで、初代のプリンスR380もまた現在の駒場第二キャンパスの3メートル風洞で試験されたことがわかり、つい最近この風洞を実際に見る機会があったばかりなので、ひときわ感慨深いものがありました。
最近買った二玄社SPORTSCAR PROFILE SERIESのプリンス/ニッサン R380~383シリーズなどを熟読して、ひたすら後ろ向きに趣味の世界に没頭・・・。
偶然、テレビ放映された「第3回日本グランプリ」を見たのは小学校4年生のこと。滝進太郎の「カレラ6」とプリンスR380の戦いに心を奪われた記憶が^^そして翌年は高橋国光の「ニッサン」R380A-II対生沢徹カレラ6の戦いに夢中になりました。両者コースアウトからの再始動で勝負がついてしまったのは歴史が語るとおり。踵を接してのスロットカーレーシングのブーム(人並みに熱中した)もあり、何だかひどく懐かしい時期から話が始まるこの本は、ニッサンとプリンスの合併、というか吸収劇をはさんで、60年代後半のメーカーの威信をかけた少々「いびつ」でさえある初期の日本モータースポーツ史を彩る(というか、その主役中の主役であるところの)プリンス/ニッサンのグループ6/7のレーシングカーを丁寧な取材と写真で紹介している。もっとも写真はほとんど知っているもの、手元にリアルタイムの雑誌記事で今でも持っているものなんだけれど、櫻井眞一郎氏亡き今となっては、なかなか詳しい取材もできないだろうから、とりあえず暫定的決定版といったところではないだろうか。櫻井氏といえば、目黒通りを時折今でも走行する「オーテック・ステルビオ」の赤の個体があり(先週も見た)、また、大橋付近には実動は疑わしいけれどガレージに収まった別のステルビオがいる。余談ですが^^
いろいろと個人的に面白い記述も多く、何より、同時代には断片的にしか判らなかった個々のレースに出てきた個体間の関係(例えば68年の鈴鹿1000キロ出走車が何で速度記録車と同じカラーリングだったのか)など、少し「積分的」な流れが何十年ぶりに理解できて非常に面白かった。改めて興味深かったのは、ニッサンやトヨタのような大企業でさえ、実は70年代になっても現代的なモノコックレーシングカー、ローラT70みたいないわゆるツインチューブのコンテンポラリーなシャーシを自力では開発できなかったという事実。もちろんスペースフレームやストレスドスキン付きのセミモノコックだから古いと決め付けるのも短絡的だけれど、ローラ流の引き写しじゃない何か別のもの、何か(例えばマトラMS660みたいな奴)がつくれてもよかったのではないかと改めて思う。
違う話になるけれど、日本の原子力発電所が、実はあまりきちんと内容を理解しないうちに建設されて、実用的に動けば良い、くらいの感覚がどこかにあったことが先般の「人災」の根底にあったことと、やはりどこかで繋がっている話で、「技術立国」なんて偉そうにしていた日本の産業にもあんまり大きな声で言いたくないような「パクリ」や「コピー」の前歴があって、払拭なんかされていなかった部分がある、というようなことを思い浮かべてしまう。
それにしてもR381の「エアロスタビライザー」の発想、技術の原点はどこから来てるんだろうか。大げさでなく「宇宙人」の示唆に従ったんじゃないか、というくらい当時のプリンス/ニッサンの技術力からは飛躍があるように思えてならないのだけれど。戦時下の何かにルーツがあったりすると面白いんだけどな~。ところで、初代のプリンスR380もまた現在の駒場第二キャンパスの3メートル風洞で試験されたことがわかり、つい最近この風洞を実際に見る機会があったばかりなので、ひときわ感慨深いものがありました。
2011-11-17
ライラックのねぢ
現在目黒区美術館で開催中の秋岡芳夫展には、MF39(300cc版ランサーMkV)と「ゲールペット」が展示されているけれど、会場内をよくみると、他にもライラックがらみの写真が結構出ている。
その中に秋岡がDP90(ニューベビーライラック、試作車か?)を持ち上げているところなどもある(70キロなので何とか持ち上げられる重さです)。当時の記事などから推測すると、このニューベビーには秋岡らKAKが深く関わっていて、いわばライラック側の技術者に「デザインするというのはどういうことで、どう進めるべきなのか」を教える機会となったのではないかと思われる。しかし、皮肉なことにDP90はスマートさが裏目に出て売れ行きが伸びず、丸正の経営悪化の一つの端緒となってしまう。そんな関わりを経て、VツインのLS18からMF39/LS38の頃にはライラック側の林英治さんもデザイナーとして成熟し、KAKが直接関わる必要はあまりなくなっていたのかもしれない。MF39ではKAKの案がそのまま生かされているのは数箇所だけという。
その中に、河潤之介さんによる後輪のブレーキクリアランスアジャスターのちょっと変わったナットがある。工具なしにしっかり締められる一枚羽のその形は、時代が下り、例えばマンフロットの#115のようなパン棒なし雲台のクランプなどに、断面は違うが、形状の似ているものが出てきて面白い(マンフロットはよくこの形のクランプを使っている)。手で回しやすく力も入る、というう要求に応えるために同じ結論に達したとも考えられるが、あるいは両方にDNAを伝えた祖形があるんだろうか。
追記:
というわけで(どういう訳だか・・・)マンフロットの#115をオークションで手に入れてしまった。アダプターを買って面(つら)が合うようにやすって、スリックの安物カーボンにセット。向きをどうするのかちょっとまだ迷っているのだが、使い勝手はなかなかいい。普通のパン棒つきより使いやすいような気がする。もう少し試してみないとなんとも言えませんが。
その中に秋岡がDP90(ニューベビーライラック、試作車か?)を持ち上げているところなどもある(70キロなので何とか持ち上げられる重さです)。当時の記事などから推測すると、このニューベビーには秋岡らKAKが深く関わっていて、いわばライラック側の技術者に「デザインするというのはどういうことで、どう進めるべきなのか」を教える機会となったのではないかと思われる。しかし、皮肉なことにDP90はスマートさが裏目に出て売れ行きが伸びず、丸正の経営悪化の一つの端緒となってしまう。そんな関わりを経て、VツインのLS18からMF39/LS38の頃にはライラック側の林英治さんもデザイナーとして成熟し、KAKが直接関わる必要はあまりなくなっていたのかもしれない。MF39ではKAKの案がそのまま生かされているのは数箇所だけという。
その中に、河潤之介さんによる後輪のブレーキクリアランスアジャスターのちょっと変わったナットがある。工具なしにしっかり締められる一枚羽のその形は、時代が下り、例えばマンフロットの#115のようなパン棒なし雲台のクランプなどに、断面は違うが、形状の似ているものが出てきて面白い(マンフロットはよくこの形のクランプを使っている)。手で回しやすく力も入る、というう要求に応えるために同じ結論に達したとも考えられるが、あるいは両方にDNAを伝えた祖形があるんだろうか。
追記:
というわけで(どういう訳だか・・・)マンフロットの#115をオークションで手に入れてしまった。アダプターを買って面(つら)が合うようにやすって、スリックの安物カーボンにセット。向きをどうするのかちょっとまだ迷っているのだが、使い勝手はなかなかいい。普通のパン棒つきより使いやすいような気がする。もう少し試してみないとなんとも言えませんが。
2010-06-16
ライラック
かつて、というか我々の世代が幼かった頃まで、
多くの消え去ったオートバイメーカーがあった。
結局今の4社が生き残った訳だけれど、トーハツ・ランペットや小さいけれど高価なブリヂストンなど記憶に残っている。そんな中でもライラック(丸正自動車)は、シャフトドライブを採用した高性能車で知られ、今もファンが多いという。
最近入手した古い「モーターファン」誌には、その「白鳥の歌」ともいうべき大型車R92の記事があって、トヨタのワークスドライバーとして有名な蟹江光正氏がインプレッションを書いている。
そんなライラック車の中で、今一番知りたいのは、 「AS71」というモペットとDP90(ニューベビーライラック)の2台。
こいつらのデザインは半端じゃなく面白い。
ライラック側には林さんという優れた技術者・デザイナーがいて、さらに外部から秋岡芳夫ら「KAK」がデザインに参加していた(DP90については未確認)。
秋岡のインダストリーの仕事としては、セコニックの露出計やクライスラーのラヂオが知られていているけれど、オートバイの場合、デザインの関与は「スタイリング」だけでは済まない。
後年になると、この分野ではYAMAHAとGKの仕事が有名だが、「AS71」の場合は、どんな具合に仕事が進められたのか、非常に興味深い。
秋岡という人は、そんな技術とデザインの関係についても深く思考していた人のようだ。
というわけで、枕元のASUSのデスクトップ背景は、某所でみつけたAS71、じゃなくてその三菱版たるゲールペットの構造イラストにしてしまいました。
結局今の4社が生き残った訳だけれど、トーハツ・ランペットや小さいけれど高価なブリヂストンなど記憶に残っている。そんな中でもライラック(丸正自動車)は、シャフトドライブを採用した高性能車で知られ、今もファンが多いという。
最近入手した古い「モーターファン」誌には、その「白鳥の歌」ともいうべき大型車R92の記事があって、トヨタのワークスドライバーとして有名な蟹江光正氏がインプレッションを書いている。
そんなライラック車の中で、今一番知りたいのは、 「AS71」というモペットとDP90(ニューベビーライラック)の2台。
こいつらのデザインは半端じゃなく面白い。
ライラック側には林さんという優れた技術者・デザイナーがいて、さらに外部から秋岡芳夫ら「KAK」がデザインに参加していた(DP90については未確認)。
秋岡のインダストリーの仕事としては、セコニックの露出計やクライスラーのラヂオが知られていているけれど、オートバイの場合、デザインの関与は「スタイリング」だけでは済まない。
後年になると、この分野ではYAMAHAとGKの仕事が有名だが、「AS71」の場合は、どんな具合に仕事が進められたのか、非常に興味深い。
秋岡という人は、そんな技術とデザインの関係についても深く思考していた人のようだ。
というわけで、枕元のASUSのデスクトップ背景は、某所でみつけたAS71、じゃなくてその三菱版たるゲールペットの構造イラストにしてしまいました。
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