過日『ドライビング・ミス・デイジー』を鑑賞。
主人公の未亡人デイジー・ワサン(ジェシカ・タンディ)が自動車で危うく崖(といってもほんのちょっとした高さだけど)から落ちそうになるところから物語ははじまる。祖父の代からの事務機メーカー社長の息子(ダン・エイクロイド)が母親に運転手・ホーク(モーガン・フリーマン)を雇う。はじめは運転手を拒絶するミス・デイジーだけれども、いろんなことがあって次第に運転手と心を通わせるハートウォーミングな映画、というのが、まあいわば「通り一編」の要約、ということになるだろう。
もちろん、そういう「心温まる映画」には違いないけれど、もう少し注意深く見ると、いい映画の例にもれず、この映画もさりげないけれど、実に細部まで気をつかっていることがわかる。ユダヤ人の老女、アフリカ系のショウファ、それに若干、狂言回し的な役割がなくもない息子の三人が主要な登場人物だが、もうひとつ重要な役割を担っているのが1950年前後から70年代前半まで、代々移り変わるミス・デイジーや息子の、そして添景に現れる自動車たちだ。
冒頭で崖から落ちそうになって保険会社にもっていかれてしまうのは、戦後すぐのクライスラー。ロイヤルかウィンザーか、はたまたニューヨーカーか、この時期のクライスラーはグレードが違っても外観が見分けがつかない。基本的に戦前の設計をモダナイズした40年代の雰囲気の色濃い実用本位の良質なサルーンで、時代背景はもちろん、ユダヤ人実業家一家のもともとの実利的な暮らしぶりもまた示している。その代わりに保険屋が提供するのは、やはり戦後すぐのハドソンで、こちらはクライスラーとは違い完全な戦後デザインで、フレームに落とし込まれた低いフロアが特徴の「ステップダウン」スタイル。マルーンに近い塗装がちょっと洒落ていて、主人公二人の触れ合いの端緒でもあり重要な一台だ。ハドソンは、やがて時代の荒波の中で買収されて不幸な行く末を辿り、1960年代を待たずに消滅してしまう。ホークはこの車が気に入り、下取りしたディーラーから買って自分のものにすることになる。
ミス・デイジーの車はその後、息子の経済的な余裕にしたがうように、それぞれの時代のキャデラックが続く。その移り変わりは、プレーンバックからテールフィンへ、そして縦四つ目へ、20年ほどの時間の中での「モード」の変遷が実によくわかり、またこの変遷が時間の経過を端的に示してもいる。それは映画も終盤、今は運転もおぼつかなくなったホークが孫娘の運転で、ミス・デイジーが施設に入ったため売りに出された家にあらわれる時の、マーキュリー・クーガーのコンシールドランプ(昼間はライトのレンズが隠れているあれです)まで続く。
興味深いのは、この終盤に至ると、成功した経営者である息子の自家用車が、もはやキャデラックではなく、メルセデスベンツ(300SEL)になっていることだ。フルサイズの「アメ車」の滅びゆく道筋が反映されていると同時に、ワサン家の当主ブーリーのユダヤ人としての出自への「意識の変化」も、この選択は暗示している。かつては、戦時下のユダヤ人「供用」の過去から、ユダヤ人には決してメルセデスに乗らない者も少なくなかったという。余談だが、「メルセデス」の由来が、オーストリアのダイムラーディーラー、ユダヤ人のエミール・イェリネックの娘の名だ、などというのは歴史の生んだ皮肉と言えるかもしれない。
例えば、このメルセデスの登場には、遡って、非ユダヤの妻の尻に敷かれる息子、ユダヤ人にもかかわらずクリスマスを祝うような、いわば「堕落」と成功が引き替えになっていることが重なりもするのだが、他にも、一見淡々とした日常に、さまざまな時代の状況が垣間見える。シナゴーグに仕掛けられた爆弾騒ぎ、息子が商売を慮って出席しなかったキング牧師の夕食会、あるいは親戚の家への自動車旅行中にミス・デイジーとホークが警官と出会うエピソードなど、おおむねそれらはユダヤ人と黒人、二つの差別を受けるグループに属する二人の、「共感の可能性」とでも言うべきものがベースになっている。
そして今現在のこの日本の状況と照らし合わせるまでもなく、もちろんこれは老人についての映画であり、「老い」をめぐる家族についての映画に違いない。いやいや、これだけ色んなことがうまく入っている、というのが、つまり、すなわちもうそれだけで「良い映画」のひとつのあり方ということなんだな~
2012-02-29
2012-02-16
R380(あーるさんはちまる)
昨日今日と。風邪ひいて鬱々としてじっと過ごしてしまいました。
最近買った二玄社SPORTSCAR PROFILE SERIESのプリンス/ニッサン R380~383シリーズなどを熟読して、ひたすら後ろ向きに趣味の世界に没頭・・・。
偶然、テレビ放映された「第3回日本グランプリ」を見たのは小学校4年生のこと。滝進太郎の「カレラ6」とプリンスR380の戦いに心を奪われた記憶が^^そして翌年は高橋国光の「ニッサン」R380A-II対生沢徹カレラ6の戦いに夢中になりました。両者コースアウトからの再始動で勝負がついてしまったのは歴史が語るとおり。踵を接してのスロットカーレーシングのブーム(人並みに熱中した)もあり、何だかひどく懐かしい時期から話が始まるこの本は、ニッサンとプリンスの合併、というか吸収劇をはさんで、60年代後半のメーカーの威信をかけた少々「いびつ」でさえある初期の日本モータースポーツ史を彩る(というか、その主役中の主役であるところの)プリンス/ニッサンのグループ6/7のレーシングカーを丁寧な取材と写真で紹介している。もっとも写真はほとんど知っているもの、手元にリアルタイムの雑誌記事で今でも持っているものなんだけれど、櫻井眞一郎氏亡き今となっては、なかなか詳しい取材もできないだろうから、とりあえず暫定的決定版といったところではないだろうか。櫻井氏といえば、目黒通りを時折今でも走行する「オーテック・ステルビオ」の赤の個体があり(先週も見た)、また、大橋付近には実動は疑わしいけれどガレージに収まった別のステルビオがいる。余談ですが^^
いろいろと個人的に面白い記述も多く、何より、同時代には断片的にしか判らなかった個々のレースに出てきた個体間の関係(例えば68年の鈴鹿1000キロ出走車が何で速度記録車と同じカラーリングだったのか)など、少し「積分的」な流れが何十年ぶりに理解できて非常に面白かった。改めて興味深かったのは、ニッサンやトヨタのような大企業でさえ、実は70年代になっても現代的なモノコックレーシングカー、ローラT70みたいないわゆるツインチューブのコンテンポラリーなシャーシを自力では開発できなかったという事実。もちろんスペースフレームやストレスドスキン付きのセミモノコックだから古いと決め付けるのも短絡的だけれど、ローラ流の引き写しじゃない何か別のもの、何か(例えばマトラMS660みたいな奴)がつくれてもよかったのではないかと改めて思う。
違う話になるけれど、日本の原子力発電所が、実はあまりきちんと内容を理解しないうちに建設されて、実用的に動けば良い、くらいの感覚がどこかにあったことが先般の「人災」の根底にあったことと、やはりどこかで繋がっている話で、「技術立国」なんて偉そうにしていた日本の産業にもあんまり大きな声で言いたくないような「パクリ」や「コピー」の前歴があって、払拭なんかされていなかった部分がある、というようなことを思い浮かべてしまう。
それにしてもR381の「エアロスタビライザー」の発想、技術の原点はどこから来てるんだろうか。大げさでなく「宇宙人」の示唆に従ったんじゃないか、というくらい当時のプリンス/ニッサンの技術力からは飛躍があるように思えてならないのだけれど。戦時下の何かにルーツがあったりすると面白いんだけどな~。ところで、初代のプリンスR380もまた現在の駒場第二キャンパスの3メートル風洞で試験されたことがわかり、つい最近この風洞を実際に見る機会があったばかりなので、ひときわ感慨深いものがありました。
最近買った二玄社SPORTSCAR PROFILE SERIESのプリンス/ニッサン R380~383シリーズなどを熟読して、ひたすら後ろ向きに趣味の世界に没頭・・・。
偶然、テレビ放映された「第3回日本グランプリ」を見たのは小学校4年生のこと。滝進太郎の「カレラ6」とプリンスR380の戦いに心を奪われた記憶が^^そして翌年は高橋国光の「ニッサン」R380A-II対生沢徹カレラ6の戦いに夢中になりました。両者コースアウトからの再始動で勝負がついてしまったのは歴史が語るとおり。踵を接してのスロットカーレーシングのブーム(人並みに熱中した)もあり、何だかひどく懐かしい時期から話が始まるこの本は、ニッサンとプリンスの合併、というか吸収劇をはさんで、60年代後半のメーカーの威信をかけた少々「いびつ」でさえある初期の日本モータースポーツ史を彩る(というか、その主役中の主役であるところの)プリンス/ニッサンのグループ6/7のレーシングカーを丁寧な取材と写真で紹介している。もっとも写真はほとんど知っているもの、手元にリアルタイムの雑誌記事で今でも持っているものなんだけれど、櫻井眞一郎氏亡き今となっては、なかなか詳しい取材もできないだろうから、とりあえず暫定的決定版といったところではないだろうか。櫻井氏といえば、目黒通りを時折今でも走行する「オーテック・ステルビオ」の赤の個体があり(先週も見た)、また、大橋付近には実動は疑わしいけれどガレージに収まった別のステルビオがいる。余談ですが^^
いろいろと個人的に面白い記述も多く、何より、同時代には断片的にしか判らなかった個々のレースに出てきた個体間の関係(例えば68年の鈴鹿1000キロ出走車が何で速度記録車と同じカラーリングだったのか)など、少し「積分的」な流れが何十年ぶりに理解できて非常に面白かった。改めて興味深かったのは、ニッサンやトヨタのような大企業でさえ、実は70年代になっても現代的なモノコックレーシングカー、ローラT70みたいないわゆるツインチューブのコンテンポラリーなシャーシを自力では開発できなかったという事実。もちろんスペースフレームやストレスドスキン付きのセミモノコックだから古いと決め付けるのも短絡的だけれど、ローラ流の引き写しじゃない何か別のもの、何か(例えばマトラMS660みたいな奴)がつくれてもよかったのではないかと改めて思う。
違う話になるけれど、日本の原子力発電所が、実はあまりきちんと内容を理解しないうちに建設されて、実用的に動けば良い、くらいの感覚がどこかにあったことが先般の「人災」の根底にあったことと、やはりどこかで繋がっている話で、「技術立国」なんて偉そうにしていた日本の産業にもあんまり大きな声で言いたくないような「パクリ」や「コピー」の前歴があって、払拭なんかされていなかった部分がある、というようなことを思い浮かべてしまう。
それにしてもR381の「エアロスタビライザー」の発想、技術の原点はどこから来てるんだろうか。大げさでなく「宇宙人」の示唆に従ったんじゃないか、というくらい当時のプリンス/ニッサンの技術力からは飛躍があるように思えてならないのだけれど。戦時下の何かにルーツがあったりすると面白いんだけどな~。ところで、初代のプリンスR380もまた現在の駒場第二キャンパスの3メートル風洞で試験されたことがわかり、つい最近この風洞を実際に見る機会があったばかりなので、ひときわ感慨深いものがありました。
2012-02-10
東急文化会館を思い出す
とういうわけで、東急文化会館のこと。
東急の強盗慶太こと五島慶太の依頼で坂倉準三が渋谷駅周辺のプランを任されたのは1950年代。ターミナルビルに百貨店が複合化された「東急会館」(1954年完成)の2年後、坂倉の基本プランで1956年(自分の生まれた年だ)に出来たのが、ショッピングモールにレストラン、映画館、プラネタリウムなどがある「東急文化会館」。時あたかも映画全盛期、映画館が無数に出来た頃だけれど、中でも文化会館は複数の映画館を集めた「映画デパート」なんていわれるような施設だった。
そんな「文化会館」のささやかな思い出を・・・
井の頭線に乗れば家から30分足らず。屋上に巨大なドームをそびえさせるプラネタリウムがビルのシンボルで、家族で、また、学校からも何度も訪れた。プラネタリウムでの「投影(というか投光?)」そのものも素晴らしかったけれど、『アトム』から抜け出したようなプラネタリウム本体の「メカおどろおどろしい」姿や星座をあしらったみやげ用キーホルダーのずしりとした手応えと一緒に、ドームを丸く囲む廊下に並ぶ歴史的な天体望遠鏡の精密模型が目に焼き付いている。それらの模型に直接手を触れて、可動部分らしきところを動かしてみたい、というのが小学生の自分の夢だった。機械仕 掛け偏愛者になったのも、もしかするとその影響からかもしれません。
四つある映画館では、40年以上に渡り、ロードショウから名画までいろいろと見たけれど、やはり一番印象に残っているのは、生まれて初めての映画『101匹ワンちゃん大行進(初公開時タイトル、後「大行進」は省かれることに)』。調べてみると、日本公開は1962年7月27日だそうで、6歳になったばかりの夏だったんだな、あれは。
脱線すれば、地元の居酒屋で、「生まれて初めて見た映画」という話になったことがあり、『ゴジラ対メカゴジラ』だの『愛染かつら』や『オーケストラの少女』などに混じって金語楼の『プロペラ親爺』なんていう戦時下作品の名が出て面白かったっけ。ちなみに自分の父の最初の映画は『オペラ座の怪人』(1925年版・弁士がいたそうなのでサイレントの方と思われる)で、帰宅後眠れなくなったほど興奮し、以来映画に夢中になったと聞いた覚えがある。
その父親は漫画映画が大好きだったから自分も見たくて『101匹~』に連れて行ってくれたようだけれど、中学時代の友達に、父親に連れて行かれたのが渥美マリの『いそぎんちゃく』(1969年)で、エロシーンに酷くバツの悪い思いをした奴がいた、なんていうのは、さらにさらにどうでもいい脱線^^;
話を戻すと、高校生以降になると、主に6階の「東急名画座」や、300円で楽しめる「東急レックス」で随分いろんなものを見た。地下のレックスの客席に柱があったことは覚えていても、肝心のタイトルや中身はほとんどすっかり記憶から抜け落ちていて、『山猫』と『エイリアン』しか覚えてない。あまり良い映画を観なかったのかな~
だらだらと脱線しているうちに草臥れてしまいました。明日へ続き・・・そうな感じ~
東急の強盗慶太こと五島慶太の依頼で坂倉準三が渋谷駅周辺のプランを任されたのは1950年代。ターミナルビルに百貨店が複合化された「東急会館」(1954年完成)の2年後、坂倉の基本プランで1956年(自分の生まれた年だ)に出来たのが、ショッピングモールにレストラン、映画館、プラネタリウムなどがある「東急文化会館」。時あたかも映画全盛期、映画館が無数に出来た頃だけれど、中でも文化会館は複数の映画館を集めた「映画デパート」なんていわれるような施設だった。
そんな「文化会館」のささやかな思い出を・・・
井の頭線に乗れば家から30分足らず。屋上に巨大なドームをそびえさせるプラネタリウムがビルのシンボルで、家族で、また、学校からも何度も訪れた。プラネタリウムでの「投影(というか投光?)」そのものも素晴らしかったけれど、『アトム』から抜け出したようなプラネタリウム本体の「メカおどろおどろしい」姿や星座をあしらったみやげ用キーホルダーのずしりとした手応えと一緒に、ドームを丸く囲む廊下に並ぶ歴史的な天体望遠鏡の精密模型が目に焼き付いている。それらの模型に直接手を触れて、可動部分らしきところを動かしてみたい、というのが小学生の自分の夢だった。機械仕 掛け偏愛者になったのも、もしかするとその影響からかもしれません。
四つある映画館では、40年以上に渡り、ロードショウから名画までいろいろと見たけれど、やはり一番印象に残っているのは、生まれて初めての映画『101匹ワンちゃん大行進(初公開時タイトル、後「大行進」は省かれることに)』。調べてみると、日本公開は1962年7月27日だそうで、6歳になったばかりの夏だったんだな、あれは。
脱線すれば、地元の居酒屋で、「生まれて初めて見た映画」という話になったことがあり、『ゴジラ対メカゴジラ』だの『愛染かつら』や『オーケストラの少女』などに混じって金語楼の『プロペラ親爺』なんていう戦時下作品の名が出て面白かったっけ。ちなみに自分の父の最初の映画は『オペラ座の怪人』(1925年版・弁士がいたそうなのでサイレントの方と思われる)で、帰宅後眠れなくなったほど興奮し、以来映画に夢中になったと聞いた覚えがある。
その父親は漫画映画が大好きだったから自分も見たくて『101匹~』に連れて行ってくれたようだけれど、中学時代の友達に、父親に連れて行かれたのが渥美マリの『いそぎんちゃく』(1969年)で、エロシーンに酷くバツの悪い思いをした奴がいた、なんていうのは、さらにさらにどうでもいい脱線^^;
話を戻すと、高校生以降になると、主に6階の「東急名画座」や、300円で楽しめる「東急レックス」で随分いろんなものを見た。地下のレックスの客席に柱があったことは覚えていても、肝心のタイトルや中身はほとんどすっかり記憶から抜け落ちていて、『山猫』と『エイリアン』しか覚えてない。あまり良い映画を観なかったのかな~
だらだらと脱線しているうちに草臥れてしまいました。明日へ続き・・・そうな感じ~
2012-01-30
昭和39年、コルベアとセドリック
前回に引き続き映画、または映画の中の自動車のこと・・・
芦川いづみ、浅岡ルリ子、吉永小百合、和泉雅子が四姉妹に扮した『若草物語』が最近BSで放映され、録画で鑑賞。偶然にも『ああ結婚』と同じ1964年の封切りで、長女芦川の夫役に内藤武敏、下の三人の相手役に浜田光夫、山内賢、和田浩冶の若手スタア三人に少し世代が上の杉山俊夫も大事な役で登場する。ほかに伊藤雄之助が姉妹の父親役で、田代みどりが和田の妹役で一瞬、顔をみせる。
題名とは裏腹、物語はオールコットの名作とは無関係で、大阪から父の再婚相手(東恵美子!)との同居を嫌った姉妹三人が家出を敢行、東京で団地住まいの長女夫婦のところに転がり込むところから始まるオリジナルストーリーの青春群像恋愛劇(!)。ワイドスクリーンによく考えられたカラースキームが映える映像は悪くない。女優陣も頑張っているし、浜田と和田の演技も思いのほかいい。しかし、脚本には妙なところが多々あり、何よりとにかく編集が悪過ぎて映画としてはどうにも完成度が低い。吉永小百合はまるで神経症みたいに感情の起伏が激しい、説得力ゼロの人物造形で、まじめに演じる吉永がまことに気の毒。和田の演じる金持ち青年もどうやらDV常習者のようで、終劇後の新婚生活が心配だ。山内賢に至っては、いくら生涯で一番映画にたくさん出ていた忙しい時期だったにしても、何だか一日で撮影したみたいな感じで、どうにも存在感が薄く、ドラマには何の役割も果たさない。逆にひたすら能天気に徹する和泉雅子が一番の儲け役かも。南極行くまでまだだいぶ時間がある頃で、結構かわいいし。
と、まあ、相当に文句も言いたくなるのだが、それでも、やはりこの映画は極めて興味深いものだった。というのも、背景となっていて、空撮まで駆使してかなりたっぷりと映し出される1964年の東京の様相は、まさに自分にとっては思い出の中のもので、もう一度見たかった街角がよみがえる、という意味で、これはまあ「リアル三丁目の夕陽」でもあるからだ。
となると、当然街の風景の中の自動車も気になるところ。セドリックやクラウン、フラットデッキのグロリア、コロナ、ブルーバード、コンテッサなどなど昭和30年代後半の国産自動車総出演が嬉しい。そんな中、特に大事な役なのが内外二台のクルマ。空港からモノレール乗り場を探す姉妹三人に声をかけ、家まで送る和田浩冶(そのご都合主義的唐突さは措くとして)が乗っているのは白いシボレーコルベアのスパイダー。VWイーターになるべく準備された珍しいリアエンジン車で当時のお金持ちの坊ちゃんには相応しい。出演者や関係者の所有者だったのだろうか。この時代の映画ならそんなこともありそうだ。映画紹介サイトで「ポルシェ」となっていたのは笑ったが、リビューアーは何故かリアエンジンであることだけは理解していたようだ。その和田とは恋敵、浜田光夫の会社が仕事に使っているのがセドリックのエステートワゴン。四つ目が横位置になってからの後期型で、5ナンバーの乗用車扱いの方だ。ラップアラウンドのフロントスクリーンが国産車としては珍しい初代セドリックだが、ワゴンタイプは荷室のサイドウィンドウもテールゲート側に回りこんだ凝ったデザイン。コルベアスパイダーとは好対照で、二人の青年のキャラクターを際立たせてもいる。
前に『恋文』で戦後ほどない渋谷の光景を見たときにも思ったことだけれど、映画はドキュメンタリーであれ劇映画であれ、どちらにしても、ある時代の光景を意図にかかわらず、余計な細部まで記録して、思いがけないみずみずしさで蘇らせてくれる。それもまた映画の面白さ。「それは、確かに、そこにあった」という単純だが、しかし多彩な快楽に満ちた映像・・・ということなんだろうな~^^
芦川いづみ、浅岡ルリ子、吉永小百合、和泉雅子が四姉妹に扮した『若草物語』が最近BSで放映され、録画で鑑賞。偶然にも『ああ結婚』と同じ1964年の封切りで、長女芦川の夫役に内藤武敏、下の三人の相手役に浜田光夫、山内賢、和田浩冶の若手スタア三人に少し世代が上の杉山俊夫も大事な役で登場する。ほかに伊藤雄之助が姉妹の父親役で、田代みどりが和田の妹役で一瞬、顔をみせる。
題名とは裏腹、物語はオールコットの名作とは無関係で、大阪から父の再婚相手(東恵美子!)との同居を嫌った姉妹三人が家出を敢行、東京で団地住まいの長女夫婦のところに転がり込むところから始まるオリジナルストーリーの青春群像恋愛劇(!)。ワイドスクリーンによく考えられたカラースキームが映える映像は悪くない。女優陣も頑張っているし、浜田と和田の演技も思いのほかいい。しかし、脚本には妙なところが多々あり、何よりとにかく編集が悪過ぎて映画としてはどうにも完成度が低い。吉永小百合はまるで神経症みたいに感情の起伏が激しい、説得力ゼロの人物造形で、まじめに演じる吉永がまことに気の毒。和田の演じる金持ち青年もどうやらDV常習者のようで、終劇後の新婚生活が心配だ。山内賢に至っては、いくら生涯で一番映画にたくさん出ていた忙しい時期だったにしても、何だか一日で撮影したみたいな感じで、どうにも存在感が薄く、ドラマには何の役割も果たさない。逆にひたすら能天気に徹する和泉雅子が一番の儲け役かも。南極行くまでまだだいぶ時間がある頃で、結構かわいいし。
と、まあ、相当に文句も言いたくなるのだが、それでも、やはりこの映画は極めて興味深いものだった。というのも、背景となっていて、空撮まで駆使してかなりたっぷりと映し出される1964年の東京の様相は、まさに自分にとっては思い出の中のもので、もう一度見たかった街角がよみがえる、という意味で、これはまあ「リアル三丁目の夕陽」でもあるからだ。
となると、当然街の風景の中の自動車も気になるところ。セドリックやクラウン、フラットデッキのグロリア、コロナ、ブルーバード、コンテッサなどなど昭和30年代後半の国産自動車総出演が嬉しい。そんな中、特に大事な役なのが内外二台のクルマ。空港からモノレール乗り場を探す姉妹三人に声をかけ、家まで送る和田浩冶(そのご都合主義的唐突さは措くとして)が乗っているのは白いシボレーコルベアのスパイダー。VWイーターになるべく準備された珍しいリアエンジン車で当時のお金持ちの坊ちゃんには相応しい。出演者や関係者の所有者だったのだろうか。この時代の映画ならそんなこともありそうだ。映画紹介サイトで「ポルシェ」となっていたのは笑ったが、リビューアーは何故かリアエンジンであることだけは理解していたようだ。その和田とは恋敵、浜田光夫の会社が仕事に使っているのがセドリックのエステートワゴン。四つ目が横位置になってからの後期型で、5ナンバーの乗用車扱いの方だ。ラップアラウンドのフロントスクリーンが国産車としては珍しい初代セドリックだが、ワゴンタイプは荷室のサイドウィンドウもテールゲート側に回りこんだ凝ったデザイン。コルベアスパイダーとは好対照で、二人の青年のキャラクターを際立たせてもいる。
前に『恋文』で戦後ほどない渋谷の光景を見たときにも思ったことだけれど、映画はドキュメンタリーであれ劇映画であれ、どちらにしても、ある時代の光景を意図にかかわらず、余計な細部まで記録して、思いがけないみずみずしさで蘇らせてくれる。それもまた映画の面白さ。「それは、確かに、そこにあった」という単純だが、しかし多彩な快楽に満ちた映像・・・ということなんだろうな~^^
2012-01-29
マストロヤンニとアルファロメオ
ソフィア・ローレンという女優がたいしたものであることは、わざわざ言うまでもないことなのですが・・・
そのソフィア・ローレンが名コンビとも言えるマストロヤンニと愛人、というか夫婦というか、まあそんなものを演じているのが『あゝ結婚』、30年ぶりで見て面白かった。以下、プロットを書くわけではないけれど、一応「ネタばれ」注意で、万一まだ見ていない方はご注意を。
映画が公開されたのは1964年。冒頭、タイトルバックに使われているナポリの街角にはジアコーサの名作フィアット600があふれ、それだけで既にちょっと嬉しい。ファミリーカーは戦後世代になっているけれど、タクシーはまだまだ戦前型が基本のランチアが走り回っていて、映画の冒頭、病気で倒れたソフィア・ローレン、じゃなかったフィルメーナ・マルトゥラーノがタクシーから降ろされローマ法王みたいに椅子で運ばれるシーンがあるけれど、そこに出てきたのもそんな古めかしいタクシー。
1940年頃からの23年間が舞台とあって、このほかにも魅力的な車が結構出てくるが、マストロヤンニ演じる遊び人のドメニコ・ソリアーノが乗っているのもイタリアの各世代のスポーツカーだ。
最初は1935~36年あたりのランチアのアウグスタ。戦前の良き時代のこの車は、後にドメニコの使用人にしてフィルメーナの執事役、フィルメーナに求婚して「無理!」みたいに断られてもなかなか諦められないアルフレートが「お古」をもらって乗っている、という意地悪な設定で再登場。
次は、戦争が終わり、再会した二人が競馬場に行くシークエンス、初めて人前に連れていってもらえると思い込んではしゃぐフィルメーナ、しかし実は競馬場は休日、というほろ苦いシーンに出てくるのは、戦後間もない1947年(48年かも)のアルファ6C2500。中身は戦前だが、オラツィオ・サッタが大いに近代化したシャーシにピニン・ファリーナの5座キャブリオレ。ソフィア・ローレン本人みたいにゴージャスなボディーの一台は、身請けされ新しい家に住み、娼婦から愛人に、というフィルメーナの運命とメタフォリカルに照応する。
映画の後半、フィルメーナの一番下の息子がいるガソリンスタンドに修理依頼を装ってドメニコが乗り付けるのもアルファロメオだが(さらにこの後、フィルメーナとの重要なシーンでも道端に停められている)、こちらは映画公開当時まだ新しかった1962年の2600スパイダーでトゥリングの2+2。本当はフィルメーナを捨て若い女と結婚しようとしていたドメニコには、今度はこんな新型車がお似合いだ。ともあれ、どうやらイタリアの伊達男は屋根のちゃんとある車には乗らないらしい。
こんな車の変遷・選択にも、戦時下から戦後へと、時代がよく表現されていて「さすが」で、ドラマの中でメタファーとしての役割を振り当てられているようにさえ見える。いつも思うことだけれど、ヨーロッパやアメリカの映画はこういった車の選び方が実にうまく、面白い。
ところでこんな「映画と自動車」を調べるのには便利でマニアックなサイトがある。http://www.imcdb.orgでみると随分いろんなことがわかり、自分のうろ覚えも確認できて便利です(何の役にも立たないけれど)。大概は自分でわかるものが多いのだけれど、例えばこの映画では、ドメニコの店先のシーンで荷物のあとからフィルメーナまで降りてくるミゼットみたいな(というかそのパクリ元か)小型のバンがピアッジオのape(エイプじゃなくてアペ^^)なんていうことは、こういうデータベースで見ないと見落としがちだ。
映画のことを書くつもりが、すっかり映画の中の自動車のことで終わってしまいそうなのですが、まあ、そういうことなんだな。肝心の映画は、やはりソフィア・ローレンのためのソフィアローレンの映画であることは言うまでもなく、凄い女優をまさに堪能できる逸品だ。若いころにはわからなかったこともいろいろあり、身につまされることや、ほろ苦いこともあり、ともかく50過ぎになったら絶対に見るべき映画だと思う。いや~映画って本当にいいもんですね、さよなら、さよなら、さよなら・・・(まざっとるがな)
そのソフィア・ローレンが名コンビとも言えるマストロヤンニと愛人、というか夫婦というか、まあそんなものを演じているのが『あゝ結婚』、30年ぶりで見て面白かった。以下、プロットを書くわけではないけれど、一応「ネタばれ」注意で、万一まだ見ていない方はご注意を。
映画が公開されたのは1964年。冒頭、タイトルバックに使われているナポリの街角にはジアコーサの名作フィアット600があふれ、それだけで既にちょっと嬉しい。ファミリーカーは戦後世代になっているけれど、タクシーはまだまだ戦前型が基本のランチアが走り回っていて、映画の冒頭、病気で倒れたソフィア・ローレン、じゃなかったフィルメーナ・マルトゥラーノがタクシーから降ろされローマ法王みたいに椅子で運ばれるシーンがあるけれど、そこに出てきたのもそんな古めかしいタクシー。
1940年頃からの23年間が舞台とあって、このほかにも魅力的な車が結構出てくるが、マストロヤンニ演じる遊び人のドメニコ・ソリアーノが乗っているのもイタリアの各世代のスポーツカーだ。
最初は1935~36年あたりのランチアのアウグスタ。戦前の良き時代のこの車は、後にドメニコの使用人にしてフィルメーナの執事役、フィルメーナに求婚して「無理!」みたいに断られてもなかなか諦められないアルフレートが「お古」をもらって乗っている、という意地悪な設定で再登場。
次は、戦争が終わり、再会した二人が競馬場に行くシークエンス、初めて人前に連れていってもらえると思い込んではしゃぐフィルメーナ、しかし実は競馬場は休日、というほろ苦いシーンに出てくるのは、戦後間もない1947年(48年かも)のアルファ6C2500。中身は戦前だが、オラツィオ・サッタが大いに近代化したシャーシにピニン・ファリーナの5座キャブリオレ。ソフィア・ローレン本人みたいにゴージャスなボディーの一台は、身請けされ新しい家に住み、娼婦から愛人に、というフィルメーナの運命とメタフォリカルに照応する。
映画の後半、フィルメーナの一番下の息子がいるガソリンスタンドに修理依頼を装ってドメニコが乗り付けるのもアルファロメオだが(さらにこの後、フィルメーナとの重要なシーンでも道端に停められている)、こちらは映画公開当時まだ新しかった1962年の2600スパイダーでトゥリングの2+2。本当はフィルメーナを捨て若い女と結婚しようとしていたドメニコには、今度はこんな新型車がお似合いだ。ともあれ、どうやらイタリアの伊達男は屋根のちゃんとある車には乗らないらしい。
こんな車の変遷・選択にも、戦時下から戦後へと、時代がよく表現されていて「さすが」で、ドラマの中でメタファーとしての役割を振り当てられているようにさえ見える。いつも思うことだけれど、ヨーロッパやアメリカの映画はこういった車の選び方が実にうまく、面白い。
ところでこんな「映画と自動車」を調べるのには便利でマニアックなサイトがある。http://www.imcdb.orgでみると随分いろんなことがわかり、自分のうろ覚えも確認できて便利です(何の役にも立たないけれど)。大概は自分でわかるものが多いのだけれど、例えばこの映画では、ドメニコの店先のシーンで荷物のあとからフィルメーナまで降りてくるミゼットみたいな(というかそのパクリ元か)小型のバンがピアッジオのape(エイプじゃなくてアペ^^)なんていうことは、こういうデータベースで見ないと見落としがちだ。
映画のことを書くつもりが、すっかり映画の中の自動車のことで終わってしまいそうなのですが、まあ、そういうことなんだな。肝心の映画は、やはりソフィア・ローレンのためのソフィアローレンの映画であることは言うまでもなく、凄い女優をまさに堪能できる逸品だ。若いころにはわからなかったこともいろいろあり、身につまされることや、ほろ苦いこともあり、ともかく50過ぎになったら絶対に見るべき映画だと思う。いや~映画って本当にいいもんですね、さよなら、さよなら、さよなら・・・(まざっとるがな)
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